固定観念に惑わされないためには、何が必要?
たとえば、イギリスの思想家フランシス=ベーコン※は、そうした固定観念のことを「イドラ」と呼んで、これを退けるよう訴えました。ベーコンはイドラを四種類に分類しています。
一つ目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じます。人間は自分の感覚に固執し、その点からしか物事を判断しようとしない生き物なのです。
二つ目は「洞窟のイドラ」です。これはあたかも狭い洞窟に考えが入り込んでしまったかのように、個人の狭い事情によって生じる思い込みです。その人の受けた教育、影響を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い考えに入り込んでしまうわけです。
三つ目は「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込みです。あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉の持つ力に弱いものです。今なら市場というよりは、インターネット上に氾濫する情報がその原因になるかもしれません。
四つ目は「劇場のイドラ」です。これは権威や伝統への盲従(もうじゅう)から生じる思い込みです。例えば、あたかも劇場で観たものに強い影響を受けるように、あるストーリーを目の前に提示されると、人は容易に信じてしまうものなのです。映画を観たあと、ついその主人公になりきってしまうように。
まず野獣の場合は、醜い老婆だと思い込んで魔女を袖にしたばかりに、魔法をかけられてしまいます。これは見た目だけで判断する種族のイドラといえるでしょう。固定観念に惑わされていたのは野獣だけではありません。町の人たちは本好きのベルや、発明家である彼女の父親のことを、よく知りもせずに変人だと決めつけていました。これはよく知らないくせに判断しているという点で洞窟のイドラか、あるいは単に人の噂を聞いただけでそう思っていたなら市場のイドラです。
彼らはガストンについても固定観念を持っていたといえます。イケメンで強いというだけで、英雄扱いしていたからです。傲慢な中身をまったく見ることなく。ガストンの権威のせいで勘違いしてしまっているのでしょう。ある意味でこれは劇場のイドラです。
でも、ベルだけは違いました。醜い野獣の中に優しい心を見出し、彼に心を開きます。人を外見だけで判断しなかったのです。だから幸せになれたのでしょう。いったいどうしてベルにはそんなことができたのか? これについてベーコンは、「知」が大切だといいます。イドラに惑わされないためには、知が必要だと。「知は力なり」という言葉はベーコンの思想を象徴するものです。
そういえば、ベルは無類の本好きでした。色んな観点から物を見るという意味での知を持ち備えていたのだと思います。彼女が恐ろしい野獣の中に真実を見ることができたのは、そうした知のおかげだったように思えてなりません。皆さんもたくさん本を読んで、素敵な野獣を見つけてみてはいかがでしょうか。
美女と野獣
<ストーリー>
販売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
■ Amazonで購入する
文/小川仁志