ボリウッド映画の拠点として知られる西インドの大都市ムンバイ。その町に、インド古典舞踊カタックダンスを極めようと修業している日本人女性がいる。Hiroko Sarahさんこと、福田浩子さんだ。彼女がインドへ移住したのは、なんと41歳の時。30代は両親の介護に追われ、それをやり切って第二の人生をスタートさせた。年齢になんてとらわれず好きなことを追い求めている彼女は、現在47歳。インドに骨をうずめると決めているヒロコさんに、その思いとムンバイでの日々を伺った。
生きづらかった日本の人間関係
ムンバイでは、ダンス修業をする傍ら、日系の電気機器メーカーで働いています。それは生活のため。ムンバイは家賃が高く、今のアパートの賃料は日本円で7万円ほどするんです。ベッドルームが8畳ほど、リビングはもっと広くて、キッチンも別にあり、日本のアパートよりははるかに広いのですが。借りた当初はまだ自営の仕事をしていましたが、収入も減ってきていたので、「生活ができなくなったら、日本に帰らなくちゃいけなくなる!」と思い、インドで仕事に就くことにしたんです。
インドにある日系人材紹介会社に登録し、紹介された会社へ面接に行ったら、現地採用の正社員として即採用が決定。私が既にインドに住んでいて、こちらの生活に慣れていることと、「インドに骨をうずめるつもりです」という私の言葉に、安心して長期で任せられると思ってくださったのだそうです。
私はもう、日本へ戻るつもりはないんです。日本が嫌いなわけではないんですよ。ただ、日本では、みんなが同じことをしたり、個人より集団を重んじたりすることがよくありますよね。それが私にはとても苦痛だったんです。自分の思ったことをはっきり言わない人も多いように思います。そんな状況の中にいることがとても生きづらかったんですよ。インドの人は、良いことも悪いこともストレートに口にするので、とても分かりやすいんです。嫌なことを言われてキーッとなることもありますが、やり過ごすスルー力もつきました。こちらも思っていることを言いやすいので、ストレスがたまりません。おかげで伸び伸び生きられるのです。
不便なことも多くて生活は大変なのですが、人間関係はひじょうに居心地がいい。勤めている会社は、日系企業ながら人間関係はインド的で、みんな本音で接してくれるので楽なんですよ。
日本も、たまに帰ってくる分にはいいですね。食べ物もおいしいし! でも私、インド料理のほうが好きなので、味噌汁や納豆が恋しくなることが全くないんです。今回は就労ビザの更新で帰国し、天ぷらやそばなどを食べています。今では、桜や紅葉がきれいだとかお寿司がおいしいとか和菓子の造形が美しいとか、外国人目線で日本を楽しむようになってしまいました(笑)。
本業は仕事? ダンス?
そんなわけで、ダンサーと会社員の二足のわらじを履いている私。平日は6時半起床で、シャワーを浴びて9時~10時に出社。毎日配達にやってくるチャーイワーラーの甘いミルクティー・チャーイを飲んで、朝が始まります。そうこうしていると、オフィスに朝ごはんも売りに来ます。サモサや、ウッタパムというお好み焼きみたいなものなど日替わりの味を楽しみながら仕事をスタート。私の担当は現地の日系企業やインド企業への営業で、出張でインド全土を飛び回ることも多いんですよ。
定時は午後5時半ですが、たいてい夜7時~7時半まで働いて帰宅。夕食は余裕があれば自炊をし、疲れたときはデリバリーを頼みます。インドはデリバリー文化が進んでいて、たいていのものは無料で配達してくれるんです。自宅でのダンス練習は、食事を待ちながらステップを踏んだり、基礎練習をしたり。ダンスの練習は、土日に集中して行います。師匠のご自宅(グルクル)で朝から午後まで3時間くらいレッスンを受けます。ショーが近いときは、毎日会社帰りに師匠のもとへ通って練習やミュージシャンとのリハーサル。夜10時すぎに帰宅すると、もう疲れてばったりです。最近はステージに立つことが増え、そんな日々が多くなりました。
