こんにちは。「ワークルールとお金の話」の社会保険労務士 佐佐木由美子です。仕事やプライベートにおいて、自分の安易な選択から、苦い想いをしたことはありませんか? 今回は、そうしたときの対処法について考えてみたいと思います。
人生は選択の日々
人生は毎日が選択の連続です。朝起きて、「今日はどんな洋服を着ようか?」といった些細なことから、転職や結婚など運命に影響を与える大きなことまで、私たちは常に選択を求められているといえるでしょう。
人生において重要な選択であれば、自分の運命がかかっている訳ですから、それこそ真剣に考え尽くして「こうしよう」と決断するはずです。他人に相談して、アドバイスを求めることもあるかもしれません。

それだけ考え抜いて出した結論であれば、多少うまくいかないことがあっても、「自分で決めたことだから」と、ある程度の納得感を持てるのではないでしょうか。
私もこれまでの人生において大きな決断をするとき、傍から見れば「なぜ?」と思われても、結果がうまくいかなかったとしても、一生懸命に考えて自分で出した答えに後悔することはありませんでした。その責任を受け入れる覚悟が、きっと心の中にあったからでしょう。
些細な選択に気をつけて
一方、気をつけたいのが日常における些細な選択です。決断を求められるような大きな事柄でないので、つい油断して安易に決めてしまう傾向にあります。大したことはないと高をくくって、他人の意見に流されてしまうこともあるでしょう。
しかし、結果としてうまくいかなかったときに、「あのときこうしておけば…」といくら悔やんだところで、後の祭りです。
かくいう私も、判断の甘さから、些細な選択で苦い経験をしたことがあります。珍しくどっぷりと自己嫌悪に陥り、鬱々とした時間を過ごしていました。
そうしたときに、人間学のゼミで、ふとある言葉を聞いたのを思い出しました。
変えられぬものは受け入れる平静さを
変えられるものは変える勇気を
それらを見分ける英知を授けたまえ
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
これは、アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーが作者とされる「ニーバーの祈り」と言われるものです(日本語訳複数あり)。
そのときは、何気なくメモに取った程度で、あまり深く考えることはありませんでした。ところが、その数日後に立ち寄った本屋で、ふと手に取った本の一節に、この祈りが紹介されていたのです。
そこで、諸説ありますが、この祈りに込められた意味を、自分の状況に当てはめて考えてみました。