「会社ではこう言われました。部屋に60ワットの電球がついているのを100ワットに変えるのが東京の人。40ワットにするのが大阪の人。東京は見栄坊、大阪はあくまで現実的。このあたりをよく知ってないと商売も、人付き合いもできないと」
昔に比べればこうした地域性はずいぶん薄れてきているのだろう。
地方にいっても、昔のように聞きとれない方言で悩まされることもない。その分、地方色が薄れ、どこに行っても似たような景色と似たような感じの人ばかりが目につく。
しかし、実際に暮らしてみると、どっこいまだまだ地方色はある。外国人が、関西に住めば「オチ」を求めたくなるようになるのだ。
「その人がどこ出身かをさりげなく聞く。ビジネスにとっては思っている以上に大切なことに思えます。大阪出身の社長だと、どうしても広告宣伝に『オチ』をつけたがりますしね。
パートナーを選ぶときも大切。トイレの電球を40ワットから20ワットにされても、それは地域性であって、その人自身が貧乏臭いわけじゃないと知らないと、いざこざが絶えません」
私自身、関西に生まれ、初任も大阪だったため、「オチはなんやねん」と心でつぶやくことが多い。見栄をはるより「負けるが勝ち」と大阪風に考えるし、「土下座してお詫び」に目くじらをたてる「半沢直樹」は、新手のギャグにしか思えなかった。
すでに東京で30年も広告ビジネスに携わっていながら、腹の中では「オモロいこと」「アホなこと」を求めているのだから、三つ子の魂百までだ。
生まれ育った土地と水と歴史には、それだけの力がある。けして悪いことじゃない。
こうした人間があちこちの水と混じり合い、その混沌の中から新しい文化が生まれる。
そう信じているからこそ是非、目の前にいる人の発言、行動の背後にある土地の景色を大切にしてほしい。
これが、この文章のオチである。
うまくオチなかったのが、ちょっと悲しい。
「あなたは、オチをつけますか?」
相手の発言、行動の背後にある土地の景色を想像してみよう。写真=Rina/PIXTA