温泉街で「フラダンサーたちのフジロック」が催される。そんな話を聞いて訪問したのが群馬県の伊香保温泉。伝統ある温泉リゾート地で、日本とハワイの深い関係、そしてフラダンス愛好家たちの情熱を見た。

「Fes(フェス)」と呼ばれる大規模なイベントが全国各地で行われています。
念のため説明しますとフェスとは「Festival(フェスティバル)」の略称です。もともとは宗教的な祭礼・祭典・祝祭や祝祭日のことを指していましたが、現代ではもっぱら世俗的な催事を示す言葉として使われています。
「夏フェス」はロックだけではない
このフェスという言葉は、若い人たちを中心とした音楽祭を指すワードとしてよく耳にするようになりました。最たる象徴が、「ロックフェス」という数万人もの観客を動員する大型の音楽イベントです。
フェスに参加し楽しむという文化、いわば「フェス文化」が興ってから20年ほどになると思いますが、フェスの代表格ともいえるロックフェスは、何と言っても「フジロックフェスティバル(通称フジロック)」でしょう。今年で19回目の開催となったそうです。
このフジロックは、日本のみならず海外の有名バンドやアーティストたちも参加することで知られています。1999年からは新潟県にある苗場スキー場一帯で開催しています。苗場山の自然の中に設置された大小4つのステージで、100組を超えるミュージシャンが演奏します。来場者数は丸3日間で10万人以上にもなるという大イベントです。今年2015年のフジロックも大盛況のうちに終わったという話を聞きました。
遡って1960年代、アメリカ各地では「LOVE&PEACE」をキーワードに音楽の熱気が吹き荒れていました。フジロックに流れる熱気は、これにも通じるものがあります。
筆者は今年は予定が立て込んでいて、フジロックには行けませんでした。苗場の大自然の中でこの熱気を感じたかったなぁ、と残念がっていた時に、ハワイ関連の事業を手がけるとある関係者から、
「今週、真夏の温泉街で、『フラダンサーたちのフジロック』が開かれているのを知っていますか?」
という話を聞きました。
フラダンサーたちのフジロック?? 何だそれ? フジロックには行けなかったけど、その“フジロック”には行ける!
その関係者が言う「今週」とは、8月4日火曜日から7日金曜日までの平日4日間。「フェスなら通常、観客を動員するために土日を絡めるはず。なぜ平日の4日間なの?」という疑問が生まれてきたものの、好奇心が先に立ちました。
フラダンサーたちのフジロック、その名も「伊香保ハワイアンフェスティバル」。どんなものなのか、百聞は一見にしかず。スケジュールを半ば無理やり調整し、行ってみることにしたのです。
真夏の温泉街にフラダンス……そこは日本初の温泉リゾート都市だった
フェスの名称に冠しているのは、地名の伊香保。そう、関係者が言っていた温泉街とは、群馬県の伊香保温泉でした。

東京生まれの私のような者には、温泉と言われて思い起こすのはせいぜい箱根、熱海、草津といった特にメジャーな温泉地。申し訳ないのですが、伊香保が思い浮かぶことはありませんでした。
もちろん、伊香保の地名は知っていました。軽井沢や草津に行くときに、何度か目や耳にしていたので。でも、わざわざ足を運ぶ機会がなかったのです。伊香保の皆さんごめんなさい。
しかし、何でまた伊香保温泉でハワイ関連のフェス? それもフラダンサーたちのフジロックだって? いろいろな疑問が、新宿発伊香保温泉直行のバスの中で湧いてきていました。
そうこうしているうちにバスは伊香保温泉に。伊香保石段街という終着地で降りたのですが、そこはフェスのステージの1つ、「石段街ステージ」の真裏に位置していました。舞台袖で出演の出番を待つフラダンサーたちの中に降りるという、何ともイキナリなフェス参加状態。


戸惑いつつも周囲を見渡すと、フラダンスの衣装に身を包んだ出演者たちが数組います。それぞれの組で衣装がユニフォームのように統一されているのが分かります。皆さんチームで参加しているのですね。少し離れた駐車スペースでは、練習しながらお互いに振り付けを細かく確認しているグループも。
山間の緑、真夏の青空、温泉特有の硫黄の匂い。フラダンサーたちとかけ離れているような気がしてなりません。
あとで聞いた話なのですが、フラダンスのチームは教室ごとに構成されていて、その教室のことを「ハウラ」と言うらしいです。
舞台正面に回り込むと、そこは白で統一されただだっ広いステージになっていました。
装飾を施さず簡素にしているのは、おそらく衣装をより際立たせるための演出の1つなのだろうと勝手に想像しながら、真夏の炎天下の中、石段に座り、出演者たちの踊りを見ていました。

が、あまりにも暑い。そこで隣に座っていた、きっとフラダンスをやっているのだろうと思わせる4人組のオバサマたちにちょっと勇気を出して、
「メインステージには、どうやって行ったら良いのですか?」
と聞いてみました。すると、
「石段の中腹あたりの道を左にいってまっすぐ。ここから15分くらいかな? どの道を行ってもだいたい行けるから! ハハハハハ……」
と、周辺のことを熟知しているベテランのような口調で教えてくれました。
ちなみに、この伊香保石段街というのは、1年の日数と同じ365段の階段があります。その両サイドに温泉街が広がっているのです。
考えてみれば、日本の温泉地は山間部に位置していることが多く、坂道を歩くハメになるので、移動するにも結構な体力が必要です。
真夏の日差しの中、大変なところに来てしまったことに気づきましたが、もう遅い。気を取り直して、現地の調査をスタートです。
実は、山間の地形を少しでも楽に移動できるようにと考えて造られたのが、この石段街なのだそうです。
調べてみると、その歴史は古い。この地で湯元から温泉を引き、石段を造り、その中央にお湯の流れる湯桶を伏せ、区画された左右の各屋敷にお湯を分配するという事業を始めたのは約440年前のこと。温泉リゾート都市として計画・実行がなされた日本初の街だったということがわかりました。

ここ伊香保は、日本の温泉街の元祖だったんですね。