報復ではなく、正義の追求を

 関根さんには「子どもが見ても大丈夫ですか?」とお聞きしたところ「辛い現実を描いていますが、そういった描写は出てきません。ぜひ青少年に観てほしい」というお返事をいただき、息子と一緒に試写を見ることにしました。

 関根さんの言う通り、映画には残酷なシーンはありません。ドキュメンタリーは、主にナディアさんが国連の会議や様々な国の国会でスピーチをしている様子を描いています。映画の多くを占めるのは、スピーチの練習をしているナディアさんと、彼女の支援者とのやり取りです。

(c)RYOT Films
(c)RYOT Films

 ナディアさんが性暴力のサバイバー(生き残った人)であることを思うと、映画で描かれる日常的なやり取りに、ちょっと拍子抜けするかもしれません。ただ、しばらく見ていると、なぜこうしたシーンを中心に描く理由が分かってきます。2015年12月、ナディアさんは国連安全保障理事会でスピーチを行い、国連はISISの非人道的な行為について調査を始めることを決定します。

 彼女は報復ではなく正義の追求を求めていました。自分の家族や親戚や友人を殺害した人や、自分たちを性奴隷として売買したISIS戦闘員や関係者を、法によって裁くことを求めているのです。それを知ると、映画で追いかけるのがスピーチや会議のシーンであることも理解できます。正義を求める戦いは地道に会議室で行われているからです。

 映画ではナディアさんに対するインタビューが何度か入っています。印象に残ったシーンを息子に尋ねてみると「こんなことで有名になりたくなかった」と話す場面を挙げました。ナディアさんは美容師になるという夢を持ったふつうの若い女性だったのです。

 ISISに襲撃される前、ナディアさん達が暮らしていたイラク北部のコチョ村がどんなところだったのか。昨年出版されたナディアさんの自伝『The Last Girl』(東洋館出版社)には、前半の多くに村の人たちと自身の日常生活が描かれています。

 村にはヤジディ教徒の人々が住んでおり、ナディアさんは親戚の女の子と一緒にメイクやヘアデザインの練習をしていたそうです。そして、村の結婚式で着飾った花嫁の写真をおしゃれのお手本として大事にアルバムにとじていました。性暴力や非人道的な暴力の被害者としてではなく、腕の良い美容師として有名になりたかった……映画のインタビューでそう話すナディアさんの姿は強く印象に残ったことの一つです。

 当然のことですが、彼女は望んで人権活動家になったのではありません。彼女に行動を起こさせたような出来事は、本来起きるべきではなかった。勇敢なナディアさんを賞賛する私たちが忘れてはいけないことだと思います。

 映画にはナディアさんがおもちゃをたくさん買って、ヤジディ教徒の難民キャンプを訪れる様子が描かれます。キャンプに集まる子どもたちを見る目線の優しさや、自伝の冒頭に掲載された数多くの家族写真から、彼女が失ったもの、求めているものが伝わってきます。

 先ほど記したように、ナディアさんは自身が受けた性暴力にジャーナリストや世論の関心が集まりがちなことに批判的な見解を示します。性暴力のことだけでなく、ISISに殺された大人の男性たちや高齢の女性たち、誘拐されて洗脳され、ISISの少年兵にされてしまった村の男の子たちのことも知ってほしい、と彼女は言います。

 また、今は世界各地に散らばって住んでいるヤジディ教徒の基本的な人権を、そしてどうしたら今後、彼・彼女たちが平和に暮らせるのかを考えてほしいと述べています。