幼児期からサービス精神旺盛な息子 役者のDNAが伝わっている!?

 息子は幼稚園のころ、テンションが上がるとお尻を出して走り回ったりする、すごく面白い子だったんです。やることがいちいち芝居がかっていて、幼稚園時代にドッジボールのキャッチの練習をしていても、ボールを取らずに「ああっ」とよろめいて倒れるフリをしたりして楽しませてくれました。サービス精神が旺盛なのかもしれませんね。

 2歳くらいからは私が地方で公演しているときには、夫と一緒に観に来てくれました。そのときの話も面白いんです。新幹線に乗っている間、「ママに会いたいよ~」と泣きじゃくるんだそうです。「父親なのに誘拐したみたいに思われちゃうよ」と夫は嘆いていました。さらに、夫と手をつないでいるときに「助けてくださ~い!」と言うこともあったそうです。夫は困ったかもしれませんが、息子なりに注目を得ようと頑張っていたみたいです。

 最近、そのころのことを懐かしく思って「あのころの面白い子はどこに行ったの?」と息子に聞いたら、「あいつはどこかへ行きました」なんてすまして答えていました。やっぱり面白い子なんです。

 そんな息子の反抗期は、小学5年生から中学2年生くらいの間だったでしょうか。話しかけてもろくに答えてくれず、親との会話は顎で「イエス」「ノー」を伝えるだけのような時期もありました。「親と深い会話はしたくないんだ」というような、その程度の反抗期だったので、親としてはこれが子どもが自立していく過程なんだととらえていました。自分もそういう時期があったなと思い出して、むしろかわいいなと思っていましたね。

仕事も家事も完璧な母がプレッシャーだった

 息子には親は決して完璧ではないということも見せてきました。

 私の母も仕事をしていたのですが、忙しくても、ご飯もお弁当も当たり前のように作ってくれて、まさに“何でもできるママ”でした。それなのに私は全然手伝っていなかったんですよ。今、自分が母親になって考えると、本当にすごい人だと思います。ただ、そんな母をすごいと尊敬する一方で、ちょっぴりプレッシャーも感じていました。「母に恥ずかしくないように自分も頑張らないと」と思ってしまっていたのです。

 でも、私も母になり、年齢を重ねていくにつれて、母がほころびを見せてくれるようになったんです。当時、私を一番に考えて、精いっぱい頑張ってくれていた母の気持ちもよく理解できるようになりました。母と私では子どもへの愛情表現が違っていただけなんです。「親って完璧じゃないんだ」と分かると、母に対して持っていたわだかまりも消えた気がします。働く親と子育てを取り巻く環境が変わったことも大きいと思います。

私は“ずっこけママ” 勉強は一緒に学ぶスタンスで

 そんなわけで、私は“何でもできるママ”になろうとせず、子どもに“ずっこけママ”ぶりを見せるようにしてきました。息子が小学生のころは、勉強を見てあげるときも、教えてあげるのではなく、「分からないからママに教えて」と言っていました。「えー、ママが分からないなら僕も分からないよー」と息子が答えると、「じゃあ、お友達に聞いてきて」と返したり、分からないことを一緒に調べたりしました。教えてあげる立場になるのではなく、「そんなの自分でやりなさい」と突き放すのでもなく、分からないから一緒に勉強する“ずっこけママ”です。子どもといる時間は限られていましたが、あれこれおしゃべりしながら勉強する時間は楽しかったですね。