以前この連載で、「好きなことはその子をうんと遠くまで連れて行ってくれる」と書きました。親が連れて行ける場所よりもずっと遠くまで、と。
先日、27年ぶりに同級生たちと出会って、改めてその思いを強くしました。
週末、とある小さなレストラン。グランドピアノが置かれた狭い店内の席はいっぱい。マイクを握っているのは、中高大と同じ学校に通った同級生のアケミです。大学に進学したあたりから交流もほとんどなくなって、風の噂でニューヨークでジャズを歌っているとは聞いていたけれど、日本に戻っている時に会う機会もないままでした。でもふと、今回は行ってみようかなと出かけてみたのです。
大人になって、また集まって…
会場には、同じく久方ぶりに会う同級生たちの姿も。みんな18歳の頃とほとんど変わっていないけど、きっと傍目には女子高生の頃の面影なんてまるで想像できない立派な大人の女なんだろうな。人が誰かの顔を見るときの脳の働きって不思議なものだと思います。私の目に映る彼女たちの姿はやっぱり、セーラー服を着ていた頃と何も変わらない。そりゃあシワやシミなんかの多少の変化はあるけど、佇まいは昔のままです。恐らく厳密には見目かたちではなくて、そこに表れ出る心性のようなものを見ているんでしょうね、私たちの目は。
40歳を過ぎると、どんな人の瞳にもかすかなかげりが宿るものです。それだけの時間を生きていれば、泣きながら神様になぜ?と尋ねたり、誰にも言わずに傷を癒やしたりした経験の一つや二つはあるでしょう。そんな時間が刻まれてしまった瞳は二度と元には戻らないのだけど、かげりの分だけ静かな優しさも宿していて、どんなに笑ってもどこか物悲しいのです。私はそんな大人の女たちの目が好きで、笑うと、ああきれいだなって思います。ほうれい線があっても、髪に白髪が混じっても。
ジャズ歌手になったアケミの歌もやっぱりそんなわずかな痛みを含んでいて、私の知らない彼女の半生のいろいろがにじんでいるようでした。会社に勤めて、思い立ってニューヨークに音楽留学して、そこからジャズ歌手の道へ。競争の激しい街で30代から10年以上も歌手としてやっているだけでもすごいなあ。
彼女に見えている風景は私には想像もつかないけれど、歌を歌っている時の幸せそうな顔を見れば、その選択がどれほど自明で切実だったのかがわかるのでした。
