起業するまでの経緯や仕事と家庭の両立についてなど、多くの壁を乗り越えてきたママ起業家や社長にインタビューする「私が壁を乗り越えたとき」。第11回は、株式会社ブラウンシュガーファースト代表取締役の荻野みどりさんを紹介します。
荻野さんは、1児の子育てをしながら「わが子に食べさせたいかどうか?」を基準に食材を厳選している食品会社を経営しています。一大ブームを巻き起こしたココナッツオイルの輸入販売をはじめ、母親目線の商品作りで子どもに安心して与えられ、おいしくて食卓を楽しくする食材を提供しています。
この連載は「上編」「下編」の2本立てでお伝えします。
「女性は愛嬌があってバカがいい」と言われて育った子ども時代
福岡県に生まれ、会社勤めの父親、専業主婦の母親に育てられた荻野さん。子ども時代は活発で、元気な女の子だったといいます。
「3歳年上の姉は、バレエ、ピアノと女の子らしい習い事をしていました。でも、姉妹で競争させたくないという母の教育方針もあり、私は全然違う習い事に通っていました。どうしてもやりたい!と入ったバレエ教室では、ずっと寝ているという状況で、先生から『こんなに寝られるとお月謝頂けません』と言われ、3日で破門になりました(笑)」
長くひとつのことをコツコツと積み上げていくタイプではなく、移り気で、楽しそうだからやってみるけれどすぐにやめる、ということを繰り返していたそう。
「それでも、剣道だけはなんとか10年間続けました。そもそも父がずっと剣道をやっていて、一緒に防具屋さんに行ったときにかっこいいな、と思って。ものすごく不真面目で、行ったふりして行かないこともあったのですが、二段まではいきました」
次女ということもあり、割と早くから自立をしていて、自分のやりたいことを貫くタイプだったといいます。
「最初は食べ物が大好きだったので、フレンチの料理人になる、と思い込んで。学校はバイト禁止でしたが、高校1年生からものすごく安いバイト代でフレンチのお店の見習いで働き始めました。放課後、一生懸命キュウリを切ったり掃除をしたり、見よう見まねでテリーヌを作ったりしていました」
「自分なりに調べたら、フランスでは自分の人生を決めたら高校生くらいから専門学校に行ったりして、プロフェッショナルを目指す人が多い、ということを知って。その瞬間から、私はこうしている場合じゃない、私の人生に数学は必要ない、と思い、『フランスに行く!』と言い始めたのですが、両親に猛烈に反対され、せめて高校は卒業しなさい、と言われました。それでもものすごく頑張っていたのですが、ある天気のいい日にハッと気づいたんです。『天気がいいのに、キュウリを切っている場合じゃない! 私は料理が好きだけど、食べるほうが好き!』って。それでスパッと料理人を目指すのを辞めました(笑)」
フレンチのお店の見習いを辞めたものの、海外に行きたいという思いは持ち続けていたといいます。
「アメリカでもオーストラリアでもいいから海外の大学に行きたい、中国でもいい、と言っていたのですが、両親には学費を理由にダメだと言われて。わが家で常々言われてきたのが『女性は愛嬌があってバカがいい』。25歳になって結婚していなかったら遅いから、すぐに結婚しなくてはならない、できなければ即、お見合い!という感じでした。そこで、食べ物の次にファッションやアートが大好きだったので、地元の短大でファッションを学ぼうと思い、短大の被服科に入学しました。ものすごい妥協案です(笑)」

株式会社ブラウンシュガーファースト代表取締役