起業するまでの経緯や仕事と家庭の両立についてなど、多くの壁を乗り越えてきたママ社長やママ起業家をご紹介する「私が壁を乗り越えたとき」。第17回は、小学6年生の女の子と3年生の男の子を育てる2児のママで子育て中の看護師集団が見守る子育てベーカリーカフェ「ごろねのくに」を立ち上げた、一般社団法人うちナース理事長の錢谷聖子(ぜにたに・さとこ)さん(37)をご紹介。
長時間労働で出張三昧の日々を過ごしていた「元・激務ママ」が、離婚、再婚、転職などを経て事業を立ち上げ、軌道に乗せていったストーリーを「上編」「下編」の2本立てでお伝えします。

5歳で死にかけ、「人のために何かしたい」と考える子どもに
京都生まれの錢谷さん。5歳のときに、夜中に脳内出血で倒れ、両親は娘の死を覚悟したといいます。
「生まれながら脳に静脈瘤があり、それが5歳のときに破裂しました。いまだから分かりますが、通常、小児の脳出血が夜中に起こった場合、救急車はどこの病院からも断られます。なぜなら、小児の脳外科手術はリスクが高く、よほど専門知識やスキルを持つ医師でないと執刀することが難しいから。私の時も、救急車でたらい回しされたのですが、幸い大阪の大学病院が受け入れてくれて。長時間の開頭手術を受けて何とか助かりました」
その後、「激しく動いてはいけない」と言われて育ち、小学校6年生まで、運動を禁止されていました。
「休み時間にみんなと一緒にドッジボールをしたくてもできず、常に教室や家の中にいました。でも、このときの経験が、今思うと起業の出発点になっているかもしれません。自分は命を落としかけたけれど、生き延びることができた。せっかく生きているのだから、何か人のためになることをしなければいけない、と小さいころから思っていました」
理工学部で学び、大学院修了後、医療ベンチャーへ
大学では理工学部に進学しました。
「当時、遺伝子に注目が集まり、ゲノムが解析されたことが話題になっていました。そんな最先端の遺伝子分野にかかわりたいと考え、生命理工学を専攻。世の中にない新しい抗がん剤を作ろうと、研究に打ち込みました。折しも母ががんになり、自分の中でがん医療に携わっていこうという思いがいっそう強くなりました」
修士課程修了後は、バイオ系のスタートアップを支援するベンチャー企業に就職します。
「理工学部の場合、大学院に進み、その後、製薬会社に就職して研究するか、博士課程に進むのが一般的です。でも私は新しいものを世の中に出すことに興味があったので、修士課程には進学しましたが、その後、ベンチャー企業への就職を選び、周囲に驚かれました。博士課程に進みたいという思いはあったのですが、母の体調のこともあり、早く就職して自立したほうがいいと考えました」
入社して2年半ほど経った2006年8月、長女を出産。認可保育園には入れませんでしたが、当時の自宅のすぐ裏手にあったキリスト教系の教会が運営する認可外の保育園に掛け合い、「自分にはやるべき仕事がある。どうしても、すぐに仕事に戻らなければならない」と懇願して、子どもを受け入れてもらえることになったそう。しかし、産後2カ月という早期復職を果たした錢谷さんを待っていたのは茨の道でした。