日経DUALの連載でもおなじみのNPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹さんは、実は、母親が働きながら家事も育児も一手に担う、典型的なワンオペ家庭で育ちました。インタビュー前編では、そんな駒崎さんの子ども時代の家族との思い出や、「鍵っ子生活」で得た貴重な学びなどについて、詳しく伺いました。
母が運転するバイク後部から見た夕暮れの街並みが原風景
日経DUAL編集部(以下、――) 駒崎さんは14年前に日本初となる共済型・自宅訪問型の病児保育事業として「フローレンス」のサービスを開始し、共働きの子育てを応援し続けています。その原点となるのが、ご自身のお母様の存在にあるそうですね。
駒崎弘樹さん(以下、敬称略) はい。僕が生まれ育った家庭は典型的な“昭和の家庭”で、母親も働いていたにも関わらず、父親は家事や子育てを一切手伝わず、家にもほとんどいませんでした。母親が一人で僕を育ててくれたようなものです。
―― 今でいう、「ワンオペ育児」の家庭だったのですね。
駒崎 まさにそうでした。僕が子どものころ、母は自営業で、競馬新聞を卸から仕入れ、タバコ屋さんに納入する仕事をしていました。当時はよくタバコ屋さんの店先のラックに筒状に競馬新聞が差してあったんですね。それを毎日配達するのが母の仕事で、バイクの後ろに大きな箱を載せて、山積みの新聞を運ぶという、結構な重労働でした。
保育園の送迎もいつも母でした。今でも懐かしく覚えているのが、母の背中越しに見た東京の下町の夕暮れの風景です。母は何十軒ものタバコ屋を回って新聞を届け終えてから保育園に迎えに来るのですが、空になった後部の箱に、今度は僕を乗っけてブーンと帰るんです。僕を楽しませようと、真っすぐ家に帰らずに、動物公園とか町中を寄り道してくれて。バイクの速度で感じる風が気持ちよくて、いつまでも乗っていたくなるような幸せな時間でした。

―― 文字通り“母親の背中”を見て育ったのですね。
駒崎 小学校に上がると仕分けの手伝いもするようになって、中学以降は自転車で配達も手伝っていたのですが、新聞の束ってすごく重いんですよね。「うちの母親はこんなに大変な仕事をやってたんだな」と思い知らされました。
―― お母様が子育てに手が回らないときなどはどうなさっていたのでしょうか?