不登校・行き渋り うちの子がなったら?
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1不登校・行き渋りには前兆が 見逃しはこじれのもと
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2子の不登校タイプは、親の「子育て傾向」で変わる
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3不登校Q&A 共働き親「今日をどう乗り切る?」
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4共働き親の心配は将来のこと 不登校児はどう学ぶ?
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5発達障害のある子が学校へ行きやすくなるヒント
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6中川翔子「いじめで不登校になった子のご両親へ」←今回はココ
今月『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)を出版した中川翔子さんは、中学時代にいじめによる「不登校」を経験しました。本特集の最後は、中川さんが不登校になるまでのエピソードや、大人たちに知っておいてもらいたいこと、型破りだけどいつも寄り添ってくれたという、お母さんとのエピソードについて語ってもらいました。
私立中学入学と同時に始まった、個性を認めない「いじめ」

中学の頃、私はいじめによる「不登校」を経験しました。
「あしたも学校に行かなきゃならない」
「またあの子に会わなきゃならない」
あの頃は、毎日がとてもつらくて、とにかく学校で過ごす時間が長く感じられました。私は、いじめられていることを、誰にも相談することができずにいました。
私は昔から、漫画を読むことも、絵を描くことも、ゲームをすることも大好きでした。小学校までは、そうした私の「好きなこと」を、クラスメートたちは自然に受け入れてくれていましたし、みんなが仲良しで、分け隔てなく話したり遊んだりしてきました。
そんな状況が一変したのは、私が、私立の中高一貫校に入学してからです。そこには露骨なまでの「スクールカースト」があり、入学直後からクラスの中には、ボスグループを頂点とする序列がはっきりと出来上がっていました。
みんなと違うことは、個性ではなく「キモい」「空気が読めない」「変わっている」と言われてしまうのだと知るまでに、時間はかかりませんでした。
その矛先が私にも向けられるようになると、絵を描いていることは、「オタク」「キモい」と言われるようになりました。それからは、人に見られないようにこっそりと家で絵を描くようにしていましたが、それでもボスグループからのいじめはエスカレート。ついには、クラスメートが誰も私に話しかけないよう、無言の圧力をかけるようになりました。