小児科医が「スマホに子守をさせないで」と啓発運動を始めている。こちらとしては、「早寝早起き」をさせるために、夕方の30分~1時間は有効に使いたい。洗濯物をベランダに干している間、火を使って料理をしている間、じっとしていてほしい。頼ってしまう親の気持ちも、少しはわかってほしい。
タブレットを欲しがって泣き叫ぶ息子の気をそらすヒントは、またもや保育園の連絡ノートにあった。「シールはりが好きです。保育士の手を借りずに、集中して仕上げました!」……さっそく、手元にあるシールと紙を渡してみる。1枚貼ってみせると、息子はニコッとしてシールを手に取り、紙に貼り始めた。
「上手ね―!」「できたぁ!」と言いながら、集中したころを見計らってそーっと離れ、お風呂を洗いに行き、洗濯物の山から子どものパジャマと自分が明日着る服を発掘する。娘はお絵かきに夢中だ。
テレビじゃなくて、絵だったらいい。デジタルじゃなくて、アナログだったらいい。
そんな心理が働くが、明らかに自分をごまかしている。きっと世の小児科医や保育・教育関係者が言いたいのは「子どもの目を見て、話しかけて、関わらないとダメ」なんだろう。そして私は、「小学校の校長」として「子どもと話していますか?」と言わなければならない立場だ。
先日取材を受けたVTRの一コマ。「新聞をとっていないとか家に帰ってゲームばかりしているとか」と、どの口で言うのかと自分で思った。編集とテロップは怖い
「校長先生」として発言する難しさ
来年、自分の娘が1年生になる。今の「子どもを構ってやれない」悩みが、そのまま「家庭学習をどう取り組ませるか」につながる。これを読んだ多くの人が「親として未熟な人間が校長なんて!」と思うだろう。しかし、多くの校長先生やベテラン教師が「自分の子と学校の子、どっちが大事やねん」と家族に愚痴られ、葛藤を抱えて働いてきた。進学塾にいたころ、担任クラスの保護者には毎年必ずママ教師やパパ教師がいた。「自分の子だとケンカになって教えられないんです」と、家庭学習の悩みを20代の私に訴える。
お互いに同じ子どもを見ていても、職業スイッチの入った状態と親スイッチの入った状態は違う。子どもを持たない頃の方が、ためらいなく必要な手立てを言い切れた。今は、自分ができていない負い目もあって「~してみるといいですね」と、語尾が弱くなりがちだ。
それでも、塾講師としての経験や学校現場で入る情報から、「家庭と学校の連携で子どもを伸ばす」ためにできる手は打ちたい。「ニュースを家族の話題にしよう」なんて、大きなお世話だとわかっている。だからと言って「フィリピンで何が起きたか知っていますか?」と朝礼で問いかけ、1~2割の子どもしか手を挙げないと、心配になる。「ニュースの話をしよう」と学校だよりに書いてしまう。本当は、忙しい中で宿題をチェックし、子どもとの会話を心がけている家庭から、学ばねばならないのは私の方だ。
情報は、誰が言うかで受け止め方が変わる。私を「子育て中、しかも多くを父親に任せているワーキングマザー」と見れば「あなたに言われたくない」になるだろう。「20代から塾現場での指導を重ね、教育ジャーナリストとして取材や執筆を続けてきた人間」として見れば、聞く耳を持ってもらえるかもしれない。ぶつぶつ悩んでいると、教頭先生が笑い飛ばす。
「育児中の40歳校長が前代未聞だからですよ! いいじゃないですか」