明治生まれの母の姿から、自立心を学んだ
多田正見・江戸川区長
DUAL編集部 多田区長は愛知県の出身ですが、江戸川区長に就任されるまでの経緯を教えてください。
多田区長(以下、敬称略) 私は4人きょうだいの3番目。父は私が5歳のとき亡くなっています。苦学しまして、母も大変苦労しました。
小学校4年生のときに終戦を迎え、厳しい時代を過ごしました。日本が素っ裸になり、衣食住さえままならなかった。母親の苦労を見ながら、きょうだい全員で力を合わせて生き抜いてきました。ただ、当時は日本国民みんなが貧乏でしたから、卑屈になることはありませんでした。振り返ると、あれもある意味ではいい体験だったとも言えるのではないでしょうか。
母は明治の生まれで、人の世話にならずに自活すべきだ、といった自立心を持っていました。そんな母を見ていますから、家事を手伝うのは当たり前です。家が貧しいから成績が悪いということもありませんでしたね。苦学しても、いい学校に行く、そして親孝行する。そうした時代に育ったことはいい経験でしたよ。人間形成上、良かったと思います。
区民とじかに触れ合える「基礎的自治体」が性に合った
―― 大学を卒業してすぐ都庁に入庁した理由を教えてください。
多田 就職難でしたので、試験を受けて公務員になるというコースを選びました。都庁にいたのは16年。課長試験に受かると、当時は出先に配属されるという慣習がありました。その縁で江戸川区に来て、気づけばもう42年目です。
すぐに都庁に戻るのだろうと思う一方、区のように住民の皆さんとじかに接する「基礎的自治体」が自分に向いていることに気づきました。都に行くと、都民との間にちょっと距離が生まれる。さらに国に行けばもっと広域的になるでしょう。
―― 政策に対する住民の反応がすぐ分かるのが良かったのですね。
多田 区民と触れ合いながら仕事することが私にはとても楽しく、大きなやりがいを感じました。
―― 職員から区長になった直接のきっかけは何なのでしょう?
多田 前の代の江戸川区長が、闘病のために辞任することになり、当時教育長だった私に声が掛かりました。「器ではない」と断ったのですが、結局、出馬することに。都議会議員経験者との一騎打ちで僅差で当選。その後、再選され続け、現在4期目に入っています。
公務員の共働き夫婦、3人の子どもを育てた先輩デュアラー
―― 子育てを経験されていますか?
多田 3人の子育てを経験しています。長男、長女、次女は3人とも既に40代。妻は都庁勤務で定年まで働きました。当時住んでいたのは葛飾区。私が子育てをしていたころはまだ保育所もなく、親達が一緒になって共同保育所をつくっていました。私も学童クラブをつくってほしいと、自ら区に直訴したこともあります。
―― ご自身が共働きのデュアラーだったのですね。
多田 当時は、今の待機児童どころではありませんでしたね。統計データすらなかった。でも、親達が保育所の増設を求めて区役所に押し掛けることは結構ありました。
江戸川区役所では色々な仕事をしましたが、40代の初めくらいから3年半、福祉の仕事を担当し、保育所や学童クラブの建設にも携わりました。私立の幼稚園、障がい者関係、高齢者関連などを含め、早い時期からそうした問題と関わることができたことは私に大きな影響を与えたと思います。
担当課長だったときには、一年で定員100~120人規模の公立保育園を5つ開園したこともあります。当時、共働き世帯がかなりの勢いで増えていましたので。そのときの経験から、保育の現場における様々な問題・課題を肌で感じてきました。
子どもを育てるのは両親。自治体はあくまでサポート役に徹すべし
多田 ただ、「これでいいのかな?」と時々考えてしまうこともあります。子どもを育てるのはやはり両親です。自治体はあくまでサポート役に徹するべきで、行政は両親のお手伝いをするべきでしょう。「親に代わって行政が子どもを育てる」というのは違うと思う。行政は「親には代わり得ない」ということを肝に銘じ、親の側も理解をしてほしいですね。保育は他人に預けてしまいさえすればいいというものではありません。
乳幼児はものを言いませんから、何より大事なのは保護者とのスキンシップです。そういう時期に、ただ機械的に保育園に預けさえすればいいという考え方は違うと思います。ただし、そうせざるを得ない現状があるので、そこは行政がサポートしなければなりません。