飛び切りの笑顔が評価されて美容指導員に

―― 上京されたとき、お父様はどうなさったんですか?

小林 経済的な理由から、父はそのまま山形に残し、単身で東京に戻りました。保険のセールスの仕事で生活費を稼ぎ、東京高等美容専門学校の夜間部に通いました。父に仕送りをしなくてはいけませんでしたから。

―― 22歳で学校を卒業し、かなりの競争率を勝ち抜いて、小林コーセー(現コーセー)に入社されます。20代の仕事が今にどうつながっているかにとても関心があります。一番頑張ったこと、ぶつかって悔しかったこと、それをどう乗り越えたかなど、お話しいただけますか。

小林 私は27歳で結婚、29歳で出産しています。仕事を辞めるつもりは全くなく、一つの会社でと決めていたわけではありませんが、仕事は一生続けようと思っていました

 メークアップの勉強をするにはどうしたらいいのだろうと考えていたときに、コーセーの「美容指導員募集」という求人広告に目が留まり、応募したんです。何千人もの応募者の中から選ばれ、晴れて入社が決まりました。「笑顔が一番すてきだったから」というのが採用の理由だったと後になって聞きました。

 メークアップアーティストになりたい一心で会社に入りましたから、どんな仕事もその目標と結び付けて取り組みました。全化粧品とメーク道具一式を持って小売店を回り、化粧品の説明をしたりお客様対応をしたりというのが美容指導員である私に与えられた仕事です。最初の2年間は山口県の化粧品店を回りました。これが23歳から25歳までですね。

究極のナチュラルメークを開発

小林 先輩は「口頭で説明すればそれでいいのよ」と言っていました。でも私はメークアップアーティストになるために会社に入ったのだから、とにかくメークの経験を積みたかった。

 もっとも当時は、メークアップに拒否反応を示す女性も多くいました。一般女性のお化粧といえばおしろいと口紅がせいぜいで、フルメークをするのは水商売の関係者というイメージでしたから。

 でも私は勉強のために、何とかしてメークをしたいわけ。だからマッサージでお客様をウトウトさせておいて、その間にメークをしてしまう。お客様は「マッサージだけで、こんなにきれいになるの」って驚いていました。実はメークをされたとは気づいていなかったんです。こうやって、究極のナチュラルメークを開発できたのよ。