―― 西川区長は、区長になられる前に都政と国政を経験されているのですね。
西川 大学院を出た後、国会議員秘書を経て、35歳で新自由クラブから立候補し、都議会議員になりました。都議会議員は4期16年、その後、国会議員を10年4カ月務めました。防衛政務次官、教育改革国民会議国会議員代表、経済産業大臣政務官、経済産業副大臣などを務め、当時一緒に仕事をした方々とは、今でも連絡を取り合い、情報交換を続けています。
2003年に選挙で敗れたあとは、政治には区切りをつけ、教育の世界でやっていこうと考えていました。しかし、区政に来てほしいという要請があり、区長選に立候補し、10年目を迎えているというわけです。
区長就任後、区政としてやるべき「ドメイン(領域)」を示した
―― 他区の区長さんの中には、「就任したときは何も分かっていなかった」「時間を経るうちにやるべきことが分かってきた」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
西川 それは謙遜にすぎないと思いますよ。23区の区長の中で、私を除く22人の約半分は元・都議会議員でいらっしゃいます。地域の問題は就任当初から熟知していたはずです。残りの多くの方々は、公務員から区長になられている。つまり、必要な情報は、区長になるまでの間に十分インプットされているのです。最初からきちんと区政を行っていらっしゃると思います。
そういう意味では、私は「何も分かっていなかった」ほうでしょう。国会議員で政治を全うしようとしていた人間が、地方行政をやるようになった。国政とは勝手が違う部分が多いわけです。ですから私は逆に開き直り、有能なスタッフの力を借りることにしたのです。
私が区政で最初に行ったことは、区政のドメイン(=仕事の領域)を決めることでした。「区政は区民を幸せにするシステムである」と考え、それに必要な仕事であればすべてやることにしたのです。最初のうちはみんな何かの“標語”だと思っていたようですが(笑)、今は現場にも定着しています。
2013年には「幸せリーグ」というのを立ち上げました。これは「地方行政とは住民を幸せにすること」という考えに賛同してくれる自治体の首長による会です。自治体のサイズは問わず、大きなところでは45万人の愛知県・豊田市が参加してくれています。また、1000人台の自治体も入っています。