わが子がまさかの待機児童に。始めながら実感していった、保活戦線の厳しさ
保育園に入れなかったのもあり、いつもこんなふうにして外出。「カンガルーみたい」と声を掛けられたり、外国人観光客に写真を撮られたりした
2013年11月、娘が8カ月に入るころに台東区役所に行き、途中入園の相談をしました。「できれば1歳を迎える3月から認可園に入れたかったけれど、4月でもいいか」と気楽に考えていたのですが、4月どころか5月入園も不可。
「これが噂の待機児童? やっぱり入れないのかー」という冷めた思いしか湧いてきませんでした。
最後の職場はそれまで勤めたどこよりも環境・人共に恵まれ、仕事内容も楽しかったので復帰が見込めないのは残念でしたが、失業給付を受けられると知っていたので、混乱することもなく逆に娘と一緒に過ごせる時間が長くなることをうれしく感じました。
「提出済みの書類は継続利用できませんので、6月以降の申請については、書類を再度提出し直してください」と言われましたが、幼い子を抱えて申請書類の作成に時間を割いても入園できる可能性はかなり低そうでした。というのも、近所の認証保育園ですら60人待ちという噂を耳にしていたからです。近所の認証保育園ですら、待機児童数は60人という現実を前に、もう一度書類を用意したところで入れる確証はないのです。
どうしても仕事復帰しないといけない事情があった近所のママ友は、隣の区の保育園に入れたようで、彼女が毎日片道20分以上かけて自転車で送り迎えすると聞きましたが、正直、当時の私にはそこまでできる自信はありませんでした。
当時、所属していた派遣会社に事情を説明して、9月まで育児休暇を延長してもらい、ハローワークで失業給付受給申請の手続きをしました。
ちょうどそのころ、たまたま空き家になる千葉県鎌ヶ谷市の一軒家を紹介され、引っ越すことになりました。「もしかしたら、保育園や住宅環境は今よりマシかも?」。そんな淡い期待を持っての引っ越しでした。