気の合う息子と居酒屋で哲学を語るの巻
上の息子は酒がそれほど強いわけではないが、湯上がりのビールのおいしさは分かっている。子どもが小さかったころ、個室か仕切りのある居酒屋によく連れていったこともあって、焼き鳥は大好物。それで、お酒を飲めるようになった長男と男2人で焼き鳥屋に行くことと相成った。
職業として漫画を描いている息子にちょっといいことがあったので、カンパーイ!
小粋なカウンターの店も近所にあるが、隣に座ったどこかの酔っ払いオヤジと何気に話せるスキルも必要だからと、銭湯の後、迷わずワイガヤ系(ワイワイガヤガヤと騒がしい店)へ直行。昔は僕が店の人やお客さんにむやみに話しかけると、息子は嫌がったけれど、今は笑って参戦してくる。成長したもんだとうれしくなる。
カオスのようなワイガヤ系の焼き鳥屋にいても、周りの音が気にならないくらいお互いに話がよくできることがある。周りが景色のようになる不思議な瞬間なのだけど、ニーチェの哲学から「祝祭空間の妙」と僕は勝手に呼んでいた。そんなことを、ニーチェを引き合いに出して息子に語ることになろうとは! 学生時代に戻ったような気がしてくる。
当時の僕は今ほど全方位ではなく、語り合うのは本当に気の合うわずかな仲間とだけだったけど、こいつとはやっぱり気が合うなと、息子と飲みながら改めてしみじみ思った、焼き鳥屋での夜だった。
(文/小栗雅裕 銭湯の写真/吉澤咲子)