私の両親も相当ショックだったみたいです。学校でいじめられないか、大人になってからはできる仕事はあるのかと、礼夢の将来を不安がっていました。
でも、私は逆に、将来のことは全然気にならなかった。正直、未来のことを考える余裕がこれっぽっちもなかった。この先、この子に何が起こるかなんて分からないし、考えようと思っても、考えが追いつかない。むしろ、これから一日一日を「どうやって育てていけばいいか」ということしか考えられなかったんです。礼夢は、「おなかがすいた」と泣いて訴え、元気におっぱいを飲んでいる。泣いても、わめいても、現実が待っている。この子にはパパとママしかいない。泣いてるだけでは何も始まらない……。
泣きつかれて、眠った翌朝、決めました。
「泣くのは、もう終わり! これから先は、どんなときも、笑顔でいよう!」って。
目に見えるものだけが情報源になるのだから、いつまでも泣いてはいられない
礼夢の誕生は私にとって本当に幸せなことでした。聞こえる、聞こえないは全く関係ない。耳は聞こえないけれど、目は見える。彼にとって、目に見えることがすべての情報源になるのなら、その目に映る私が、いつまでもしくしく泣いたり、悲しんでいるのは嫌だと思ったんです。それよりは、礼夢が「楽しい」と思える世界をまず作らなくちゃ。それには、そばにいる私が笑顔でいなくちゃ。きれいごとじゃなく、心から本当にそう思いました。
沖縄人特有の「なんくるないさ~」精神も手伝ってか、それからは、もう前しか見えなくなりました。医学書を読んで耳の構造を学んだり、先生に紹介された口話法の学校に通ったり、同じような境遇の方が書かれた本を読んだり、インターネットで情報を集めながら、聴覚障害のある子の子育てに関する情報を集めました。
「神様が与えてくれた試練だから乗り越えられないはずはない」
16歳のとき、仕事がきつく、ホームシックにかかっていた私に、母が言ってくれた言葉です。つらいとき、この言葉を思い出しながら生きてきました。
礼夢だってそう。礼夢が選ばれて生まれてきたのだとすれば、きっと、絶対に乗り越えられる。そしてその先に、きっと大きな喜びが待っている。そう信じて、私の子育てが始まりました。
(ライター/松田亜子、撮影/稲垣純也)