妻の産後うつをきっかけに、家の仕事ができる働き方に変えました(浜田)
浜田 林太郎さん(仮名)。IT企業にて営業管理職に就いている。子どもは中学1年、小学4年、6歳、4歳の4人。もともと仕事人間だったが、第一子が産まれた後、パートナーの産後うつをきっかけに会社を転職することなく働き方を変え、全面的に育児をしている
浜田 林太郎さん(以下、浜田と略記) 僕はIT系の会社で管理職をやっております。営業職という仕事柄、人前でしゃべることが多い割に、口下手で。子どもは4人で長女12歳から2歳まで4女おります。妻はNPO法人で働いています。
僕はもともと全く育児をやっていませんでした。多分、青野社長と世代が変わらないと思うのですが、1970年生まれなので。でも、1人目の子どもを産んだ直後、働き方を変えました。
あれは今から12年前、長女出産後のときに。当時の僕は毎日タクシー帰りで、海外出張も多くて。ずっとそんなのを続けているうちに妻がうつになってしまった。それでもずっとその働き方を続けていたら「これはもうまずい」という事態に。それで妻と話すようになって気づいたのが、妻と僕の“幸せの形”が全然違っていたということ。それから仕事のやり方を変えていったんです。
羽生祥子(日経DUAL編集長)(以下、羽生と略記) 幸せの形が違うというのは?
浜田 妻はもっと僕と家事・育児を分担して一緒にやっていきたかったようなんです。
羽生 今は結構、家事・育児をやられるようになりましたか?
浜田 僕がどう頑張っても半分まではいきませんが、なるべく引き取るようにしています。家の中で自分の仕事をつくるようにしている、という感じです。あとは、当時の最大の問題が妻と話さなかったことだったので、今は月に1回は必ず妻と二人で飲み会をやっています。
青野慶久さん(サイボウズ代表取締役社長)(以下、青野と略記) すごいよねえ。それができるというのが、レベルが高いね。
浜田 例えば仕事でパートナーがいたとすると定期的に打ち合わせしたりとか、たまに飲みに行ったりするのが普通じゃないですか。でも、育児という仕事ではなかなかそういう機会を持たない。それを「月に1回やりましょう」ということにして、子ども達をベビーシッターさんに預けて行くようになったんです。
妻との飲み会は「俺の日」と呼んでいて一回2時間制にしてます。そこでは育児や仕事のこととかを話しながら、お互いが思うところもバシバシ言い合う。
羽生 月1回って結構頻度高いですよね。
浜田 もう何年も前からやっています。子どもが小さいときは当然できないですけど、子どもが生まれて1年くらいしたらもう始めていましたね。
働き方を変えたころは、会社の中でも色々すったもんだがありました。うちの会社はサイボウズさんのように先進的な会社ではなく、古い体質の会社ですので。かいつまんで話しますと、30代前半で異動希望を出し、「わがままだ」なんだと散々言われながらもどうにかやってきました。
おかげさまで今はなんとか管理職を務めています。