「自分らしくあることを諦めないといけない社会はおかしい」
「自分のキャリアを3つの軸で考えて共通して浮かんだのが『女性のキャリア』と『子育て』だったと語る堀江敦子さん
堀江敦子さん(以下、敬称略) 大学に入ってからは、まず国際関係の勉強会によく参加していたのですが、参加し続けた結果、「私は外国の問題よりも、大好きな日本の問題解決に興味がある」ということに気づいたんです。少子高齢化という大きな壁に直面している日本の現状をどう打破したらいいのか。この国で女性としてどう働くのか、どう産むのか、どう年をとっていくのか。これって全部、いつか必ず自分が当事者になる“自分事”なんですよね。だからこそ真剣に考えるべきだとあらためて気づいて、国内のジェンダーや福祉の問題へとより関心が向くようになりました。
羽生編集長(以下、羽生) そしてその意識を持ち続けて就職されて。3年半お勤めされて、「起業する」と決断に至ったきっかけはあったんですか?
堀江 何か決定的なことがあったというより、10年以上かけて少しずつ自分の中にたまっていたものが、ある時ふと“つながった”という感覚に近いかもしれません。リサーチの仕事をしながらも、週末を使ってワークライフバランス関連の講座を開催したり、関心のあるイベントに参加していたのですが、あるワークショップで3つの軸で自分のキャリアの方向性を考える機会がありました。「これまで自分が好きでやり続けてきたことは何か」「自分のスキルの中でお金になるものは何か」「自分のスキルの中で社会に貢献できるものは何か」――この3つの軸で考えて共通して浮かんだのが「女性のキャリア」と「子育て」だったんです。
ベビーシッターの初体験は小学生の時でしたが、ずっと誰に頼まれるわけでもなく純粋な気持ちで取り組んできたのは「女性の子育て支援」でした。自分の将来を考えた時にも、周りの女性たちを見渡しても、「自分らしくあることを諦めないといけない社会はおかしい」という怒りのような感情が常にあったんです。
羽生 怒りが原動力。わかります。私もDUALを立ち上げる時は、「仕事も子どもも一緒に愛せない社会はおかしい!」という怒りが源でした。
堀江 わかります。そうやって少しずつ自分の中で蓄積していた思いをどう形にするのか、ああでもないこうでもないともがいてきた結果、ふと「起業」という選択肢が浮かんだのが25歳のタイミングだったんです。
羽生 とても納得できました。若くして起業というと勢い任せのようなイメージにもとられると思うのですが、堀江さんの場合は10代の頃からむしろ長過ぎるくらいの準備期間があったんですね。
堀江 本当に(笑)。