「ちゃんと子育てしていない」。犯罪のニュースでもそういうところを攻撃する人が多すぎる。被害者側の家庭を糾弾する。産むという選択をした人に対しても、「中途半端」「無責任」という言葉を投げつけ、そんな子育てなら産まないほうがまし、と言わんばかりに批判する。

 そしてその考え方が、保育園を迷惑施設と考えるいら立ちにもつながっていると思うのです。「産んだなら、仕事なんかせずに子育てに集中しなさい」「小さい子どもを、自分できちんと子育てできないくらいなら産むな」。そういう本音が透けて見えてくる。

「子育て」当事者の優遇を声高に叫べない実情も

 一度、保育園は迷惑施設だとおっしゃるご老人方に、私達が払っている健康保険の額を見てもらいたい。75歳以上が1割しか払わずに医療が享受できるのが、どれだけの痛みの上で成り立っているのか。

 働いても、保育園の費用、税金などでなかなか暮らしが楽にならないから、もう一人欲しいけど我慢するというような家庭も多いでしょう。それって結局、増え過ぎた老人が少子化に直結しているということなんだと思います。

 100歳のお祝いは1963年には153人だったそうです(※厚生労働省のプレスリリースより)。今年100歳を迎えるのは、約3万2000人。50年で200倍。
 増えた老人。長い寿命。これは、日本が住みやすく安全で素晴らしい国だからこその、非常に喜ばしい結果です。
 でも、老人に最適化された社会から、今、まさに子育てというものが踏みつけられつつあるのも事実です。でも、なぜかそれに対して、私達の世代はあまり怒らない。

 理由としては、私たちの世代のボイスリーダーが子育ての当事者じゃなかったり、当事者であっても子供を産めなかったり育てなかった人たちに遠慮して、なかなか「子育て」当事者への優遇を声高には叫べない実情があります。

 高齢者に遠慮して、同世代に遠慮して、結局何となく、何も言わなくなっている。それは大いなるサボタージュなのではないかなと思います。

普通なことをする人への敬意が足りない

 すぐ右とか家族主義とか言われちゃうんだけど、そうじゃないんですよ。あまりに、普通に家族をつくった人達が損をする制度に黙ってきたから、普通が普通でなくなり、もはや単身者世帯が増加の一途をたどっている。みんな、楽で得なほうを選ぶのです。

 普通なことをする人への、敬意が不足しています。普通でない人を大切にするのも本当に重要です。だからといって、やっぱり普通のコトを普通にやる普通の人も、大切にしてほしい。“保育園は迷惑施設”という言葉に、心から思う、今日このごろです。

 子どもは、未来なのですから。