親というものを求めてはいけないと、苦しんだ施設での日々
いただけるものが「当たり前じゃない」と思えるのは、母の教えのおかげだという
孤児院に入ってから1年後、私が5歳のとき、フローラ、つまり母が私を養女として迎え入れてくれました。夢のようにうれしかったことを覚えています。
私を引き取る前から何度も施設に遊びに来て、抱っこしたり頭をなでてくれたりしたんです。そのたび、ものすごい安らぎを感じていました。肌と肌が触れるだけでもこんなに温かいんだ、この人がお母さんになってくれたらすてきだな、といつも思っていました。そのときから「ママ」と呼んでいたほど、母のことが大好きでした。でも、半ば諦めていたのです。
当時、孤児院では週に1回、子どもを引き取りたい人を招いて「オーディション」が開催されました。ナニーと呼ばれる養育係の人がきれいな洋服を着せてくれて、大人の前で遊んだり並ばされたりする。訪問に来た大人に選ばれて引き取られれば、孤児院から抜け出して新しい生活を送れると子ども達は知っていたので、みな、自分をいかにかわいく見せるか必死。ありったけの笑顔を振りまいてアピールしました。
私ももちろん必死でしたが、2~3歳の幼い子のほうが引き取られやすく、私はもうじき5歳になろうとしていた。もう、親というものを求めてはいけないのかな、と思い、すごく悲しかったですね。
だから、フローラが母になると決まって、本当にうれしかった。「やったー、お母さんが見つかった!」って、孤児院の仲間にはしゃぎながら伝えました。今振り返ると、仲間に対して残酷な振る舞いだったなと、反省します。そして、よく私を笑顔で送り出してくれたなと、感謝しています。選ばれないときの悲しさは、私もよく知っているから。
家族全員を亡くした幼いサヘルさん(左)を養子として引き取った、若き日のフローラさん