岩手県花巻市にある株式会社惣兵衛(そうべえ)。同社は、ウェブデザイン・ウェブコンサルティング、無農薬米のネット販売、マクロビオティック・カフェの経営など、「一見関連性のないように思える異業種の事業」を展開しています。
代表取締役を務めるのは畠山さゆりさん(51歳)。東京での会社員時代は、事務職や秘書を務めていましたが、故郷の岩手に帰って経営者となりました。業種の異なる事業を、どのようにして次々と成功させていったのでしょうか?
東京で暮らしたからこそ、地元の魅力に気づくことができた
株式会社惣兵衛代表取締役・畠山さゆりさん
岩手県花巻市の稲作農家の二女として生まれた畠山さんは、地元の高校を卒業後、上京。専門学校卒業後は京セラや外資系企業に勤務し、結婚して2児の母となりました。転機が訪れたのは、32歳のとき。父の死をきっかけに、一家4人、無職で岩手にUターンしたのです。
上京した当初は、花巻に帰る気は全くなかったという畠山さん。しかし、このとき、Uターンに前向きになっていました。子どもを授かって以来、食を育む農業の尊さや、自然豊かな故郷の素晴らしさに気づいたからだといいます。
「体の中で細胞分裂が起こり、人の体が出来上がっていくわけですよ。その源になっているのが栄養分であり、栄養を共有する食べ物を、私の実家は育てているんだ、人間の生命の根幹を支える仕事なんだ、と。都会ではお金をかけなければ手に入らない安全な食べ物が、ここでは簡単に手に入る。その豊かさを実感しました。『青い鳥はここにいた!』という感じです」
埼玉県出身の旦那さんは「お義母さんが広い家で一人暮らしはかわいそうだから、帰ってあげよう。岩手はスキーもゴルフ場も温泉もあっていいところ」と言ってくれたそう。「気が変わらないうちにさっさと引っ越してまいりました」
畠山さんは故郷に戻り、ようやく地に足がついたと喜びを感じていました。しかし同時に、地元の人との温度差を感じていました。
「遅まきながら農業の素晴らしさに気づいた私ですが、肝心の農家の人が元気がないように感じました。長年、同じ場所で暮らしていて、よそからの評価を受ける機会がないせいもあり、自分達の価値に気づいていないんですね。『私がすべきことは、愛する地元の魅力を、ネットで発信することだ!』と気づいたんです」
当時は1996年。ヤフー株式会社が設立された年でもあり、インターネットは黎明期でした。そんな時代にあって、畠山さんは独学でホームページの制作に乗り出したのです。外資系企業に勤務していた時代、既にチャットやメールを使っていたことから、この発想に結びついたのでした。
自作のホームページでは、家族構成や米作りへの思いを紹介するとともに、「農業を体験しに来て!」と呼びかけました。いわゆるグリーンツーリズムの先駆けです。老若男女、外国人など、延べ50人ほどが体験にやってきました。「農業とITの融合」が話題となり、テレビや雑誌の取材が押し寄せました。