最初は地方の自宅で開業。今は霞が関に本社を置く企業の社長に
株式会社ソーシャルサービス社長の白形知津江さん
すらっとした長身に、色鮮やかなワンピース。会社経営者の風格が漂う株式会社ソーシャルサービス社長の白形知津江さん(43歳)。同社はシニア向けの各事業を展開し、月刊誌『どきどき』を30万部発行するほか、広告・コミュニケーション事業、ウェブサービス事業など様々な角度からシニア層をサポートしています。
「この10年で本当にいろんなことがあったんですよ」。底抜けに明るい笑顔でこう語る白形さんは、9歳と11歳の娘を持つ都内在住のシングルマザーです。今年で創業11年目。長女が0歳だった05年11月、移り住んだばかりの静岡市で自宅開業したのが始まりでした。
「0歳のうちに起業すれば、娘と一緒に会社も成長していく気がしたんです。子どもがいるからできなかった、と私が後悔していたら、子どもがかわいそうだと思って。子育て中でも地方にいても、やろうと思えば何でもできると確信していました」
この約10年間、ビジネスも私生活も山あり谷あり。出産、起業、法人化、切迫早産、東京進出、別居、離婚、事業変更……。まさに疾風迅雷の勢いで駆け抜けてきました。でも「谷があったから這い上がれた」と振り返ります。紆余曲折を経て、現在は霞が関に本社を構える企業の社長。約30人のスタッフを率いるリーダーとして成長し続けています。
東京では電通の営業ウーマン。与論島との出合いが人生の舵を切るきっかけに
そもそも白形さんは東京生まれの東京育ち。静岡市に移住する前は、大手広告代理店・電通の営業ウーマンとして全国を飛び回っていました。転機が訪れたのは30歳のとき。新聞広告の仕事で与論島を訪れたことがきっかけでした。
島のために生きる。島民のために仕事する。
目の当たりにした島民達のそんな“生きざま”を見てはっとさせられたといいます。
このままで、自分は人のために生きられるのか―――。
そのことが人生の舵を切る大きなきっかけになりました。
“思い立ったら即行動”が信条。東京へ戻ると、現役で活躍する社会起業家30人をリストアップ。仕事の合間を縫って訪問し、「社会のために自分に何ができるか」を模索しました。電通の役員66人に社内改革の必要性を訴えたメールも一斉送信。周囲からは破天荒な行動に思われましたが、「とにかく自分が正しいと思う道を突き進みたかった」。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いだった電通時代、エレベーターで、一人の男性と運命的な出会いをします。男性は静岡市内の企業で働いていました。二人は瞬く間に恋に落ち、出会って1カ月で結婚を決意したのです。