不安な子ども時代。いつも親の顔色をうかがっていた
『田舎のキャバクラ店長が息子を東大に入れた。』著者、碇策行さん
タイトルを目にして、この本を手に取った方には申し訳ないのですが、この本はお子さんを東大に入れるためのノウハウが書かれているわけではありません。茨城県鹿嶋市という田舎でキャバクラの店長をしている私の揺るぎない子育て方針についてつづったものです。なんて言うと偉そうですが、私は自分が父親になったとき、子どもを育てることができるかとても不安でした。なぜなら、私は親に捨てられたからです。
幼少期のころ、私は休日にキャッチボールをしてくれる父が大好きでした。ホットケーキを焼いてくれる母も大好きでした。けれど、小学生になったある日、父がいなくなりました。母とは違う女性と暮らすようになったのです。
残された母はヒステリックになり、私に父の愚痴を聞かせるようになりました。そして、その母も私が中学生になったある日、「実家に用事がある」と言ったきり帰ってこなくなりました。私と弟は父側の祖母に育てられましたが、その祖母は高校受験の4日前に他界しました。その後は父に育てられましたが、もはやその男を自分の父親と思うことはありませんでした。
そんな自分が父親になったとき、私は子どもをきちんと育てて上げられるか自信がありませんでした。夫婦共に高卒。私は田舎のキャバクラの店長で、妻も水商売をしています。年収は300万円、お金も学歴もない。そして、私にはあの両親と同じ血が流れている。自信を持って子育てができるはずもありません。
だから、私は決めたのです。もし私がいなくなっても、生きていけるように息子を育てようと。
私が両親にされて嫌だったことはせずに、してほしいと思ったことを子どもにしてあげようと思いました。そう考えると、わが子に「こうしてほしい」と思うことは多くありませんでした。「この子の笑顔が見られればいい」。それだけでした。
母に「早く!」と言われ続け、自分に自信が持てなくなった
私は息子が笑顔でいられるように、妻には「早く」と言わないようにお願いしました。せっかちだった母に「早く!」と言われながら育った私は、「早くしなければならない」と子どもながらに焦り、結果的にうまくいかず、母に叱られてばかりいました。それを繰り返しているうちに、自分に自信が持てなくなってしまったのです。そんな思いをこの子にはさせたくないと思いました。
大人になってから気づいたのですが、お年寄りが早く歩けないように、子どもは早く行動することができません。大人と子どもでは時間の流れが違うのです。親がやってあげれば数秒で終わることも、子どもにやらせると数分かかってしまいます。だからといって親がやってしまっては、親がいなくなったら生きていけなくなってしまう。だから、私達は時間がかかっても、失敗することが分かっていても、とにかく最後まで自分でやらせました。