必ず失う命を育てることの意味。それを命をまるごと受け入れたとき、新しい命を授かった
生まれる前には、医師から「脳がないために、話せないし、反応できない。感情もない」と告げられた優大くん。首は据わらず、食事や睡眠、入浴には献身的な介助が必要でしたが、呼びかけに返事をしたり、「まーま」と母・幸恵さんを呼んだり、父・広数さんと入る大好きなお風呂では、「あー」「ふー」と気持ちよさそうに言ったり、豊かな感情表現で命の可能性の素晴らしさを教えてくれます。
中国の赴任から帰国した広数さんと幸恵さんは、東京で新生活を始めます。広数さんは大手食品メーカーで念願のマーケティング部門の仕事に励む中、「一日三優大」を日課に、「朝、薬をあげる」「夜、風呂に入れる」「オムツを替える」を継続し、家族との時間も大切にするようになりました。家族が気分転換できるよう、2カ月に1度は温泉旅行を計画。露天風呂付き客室で家族水入らずの時間を過ごします。
優大くんが成長し、笑顔を見せ、かわいくいとおしく思うほどに、幸恵さんの中で優大くんを失う恐怖も大きくなっていきます。優大くんは、風邪を引けば肺炎になってしまう危険と隣り合わせの状態。投薬をはじめ体調を管理する日常のケアを適切に行わなければ命に関わります。入院するたびに、病院で医師から危篤になった場合の救命処置について確認されました。
「優大の命が尽きるかもしれないというときに、自分がどんな選択ができるかを想像するのはとても難しいこと。明日のことも分からない、ワンサイズ大きい来年の服を買ったことはなかったし、小学校に入学することを想像することさえできない。命とは何なのか。失うことが分かっているのに育てることの意味は何なのか。そう遠くはないいつか、必ず訪れる絶望を考えないようにして希望だけを持つことが私にはできませんでした」。これまで心の中にしまっていた感情が一気にあふれるように、数カ月にわたり幸恵さんの苦悩は続きます。
そんな日々の中でも目の前にいる優大くんを見ると、肺炎や発作をその度に力強く乗り越えて育っていることに幸恵さんはハッとさせられます。毎日見せてくれるキラキラとした目の輝きは、本当に美しい命の輝きそのもの。こうして生きていることだけで、どれほどの愛情をもらっていることか。
「いつ終わるとも分からないのなら、毎日を大切に生きることしかない。自分の分身のように大切なわが子を失うという恐怖は拭えなくても、今までだってそうしてきたように幸せに生きることができる。失うものを数えるのではなく、今あるものに目を向け、後悔のないように生きようと思うようになりました」
結婚したころは20代で3~4人の子どもがほしいと夢見ていた幸恵さん。しかし、生み出した命を失う恐怖を受け入れることができないまま、また新しい命を授かることに踏み切れないでいました。優大くんの命をまるごと受け止めて生きていく、そう思えるようになったころ、幸恵さんのおなかの中に新しい命が宿ります。優大くんが5歳のとき、次男・あつきくんを出産。
初めての温泉旅行は日光。後にあつきくんも加わり、様々な温泉宿へ20~30回訪れました
幸恵さんが帝王切開で入院している間、優大くんには原因不明の呼吸困難の症状が出ます。程なくして治まり、最初は不安そうだった優大くんも、すぐに弟をかわいく思っていることが分かるような優しい表情になりました。育児はますます忙しくなりましたが、第二子の出産により、広数さんの育児スキルもさらにグレードアップ。中堅社員として熱心に仕事をこなす中、優大くんが入院したときは病院の付き添いをしたり、吸入や吸引、体位交換などの重要な日常のケアもできることが増えていきました。