お手伝いは大切な情操教育です
名作絵本約100作品を生み出した児童文学作家・中川李枝子さん。「最新刊『ママ、もっと自信をもって』が、お父さんお母さん、保育士、先生たちのお役に立てたら」と語る。
終戦は札幌で迎えました。当時、私は10歳。国民学校4年生でした。最初に疎開したのは姉と私でしたが、その後すぐに母と弟と妹も、札幌に疎開してきました。
父は、蚕糸試験場と共に山形へ疎開して終戦を迎え、翌年、福島の蚕糸試験場の場長になり、福島で家族がそろいました。私は5年生でした。
官舎のわが家は、試験場の中にありました。家も庭も広く、畑を作り、山羊やニワトリを飼って自給自足ができました。「戦後のいちばん大変なとき、福島にいたから餓死しなかった」と両親は福島にとても感謝していました。
畑の草取りや家畜の世話は、子どもたちの仕事です。父は「お手伝いは、人のためより、自分のため」と言っていました。お掃除をしたり、お茶碗を洗ったり、畑仕事をするのは自分のためになるのだから、ありがたく思えって。
両親は勉強より情操教育に熱心でした。情操といっても、ピアノを習ったり絵を描いたりするのではありません。三度の食事をおいしく、部屋を居心地よく、絵や花を飾るなど、ごく日常的なことばかり。掃除、洗濯など、お手伝いも大切な情操教育の一つなのです。
父はお客様を招いて食事をするのも好きでした。家族の食卓に友人や後輩を交えて、お話を聞かせてもらう。私は、お客様のお話を聞くのが大好きでした。