道草も禁止。外国の本も取り上げられた
名作絵本約100作品を生み出した児童文学作家・中川李枝子さん。「最新刊『ママ、もっと自信をもって』が、お父さんお母さん、保育士、先生たちのお役に立てたら」と語る。
国民学校へ入学したのは1942年。第2次世界大戦が激しくなっていく時代です。
当時の子どもの居場所は、学校と自宅に限られていました。外遊びはもちろん、行き帰りの道草も禁止です。家を出られるのは唯一学校に行くときだけ。楽しみは友だちに会える学校だけでした。
でも、子どもはどんな状況でも楽しみを見つけます。学校と家以外は行ってはいけないと言われたら、「じゃあ、出征兵士のおうちを回って、武運長久の最敬礼をしましょう」と道草の口実を作る。頭がいいでしょう。
そのころクラスで楽しんだのが、本の回し読みです。本も買えない時代でしたが、1人1冊くらいは持っていたのでしょう。みんなで回覧するのです。持っていない子は、ノートに自作のお話に絵をつけて参加し、なかなか人気がありました。そして私のは、父に買ってもらった『アンデルセン童話』でした。
回し読みの輪は、隣のクラスまで広がりました。そして、隣のクラスの担任に、私の本は外国の本という理由で取り上げられたのです。
私たちが学校で勉強ができるのは兵隊さんのおかげだと、校長先生が朝礼のたび、話してくれました。兵隊さんは、日本以外のあちこちの戦地で戦っている。敵をやっつけていて、いつも勝利している。
では、なぜ、空襲されるのか。「それは日本に潜むスパイの仕業である。外国語を話す人、外国の本を読む人は、すべて怪しい。見つけたら報告しなさい」。「両親が怪しいことをしていたら、先生に話しなさい」とも言われました。
学校での女の子たちの楽しみはもっぱらおしゃべりでした。みんなが夢中になったのは「戦争になる前のこと」。
「お母さんはお化粧していた」「お母さんはパーマネントをかけていた」「かかとの高い靴を履いておでかけした」と、お母さんがどんなにきれいにしていたかを話して満足するのでした。ほかの話は一切出てきません。