パパはイクメンのはしりだった!? 保育園の送り迎えから三つ編みまで
―― 平原さんのご両親は共働きでいらしたそうですね。
平原さん はい。母も忙しく働いていましたから、父が私と姉を自転車の前と後ろに乗せて保育園の送り迎えをしてくれました。父は私の髪を三つ編みにするのも上手で、習っていたクラシックバレエの練習前にはお団子にもしてくれました。母は子育てと仕事で、平日も週末も、なかなか自分の時間もとれないほど忙しかったはずなのに、日曜日になると私達のためにスコーンを焼いてくれたりして。生クリームを付けて食べたことを覚えています。
―― 寂しい、ということはありませんでしたか?
平原さん 不思議と寂しくなかったですね。姉がいたことも学童クラブに入っていたことも大きいと思いますが、保育園で父母とお別れのときなど、びーびー泣く姉とは対照的に、「いってらっしゃーい!」と笑顔で手を振るような子どもでした。
仕事をしている両親の姿を子どもながらに格好いいと思っていましたから、どこかで「泣いたらダメだ」って思っていたのかもしれません。
父はサックスプレーヤーで、私は5歳のころからライブを見にいっていました。当時、父は安全地帯のサポートメンバーだったので、あのころの私は玉置浩二さんに抱っこしてもらって、恥ずかしくて寝たふりをしたり……(笑)。
―― バレエのほかにはどんな習い事をされていたのですか?
平原さん まず、バレエは6歳から高校2年生になるまでの11年間続けていました。あとは、スイミングスクール。小学校1年生から8年間通いました。その他、ピアノやお習字を習ったり、塾へ通ったり。夏期講習や冬期講習なんていうものもあって、一週間があっと言う間。正直、今より忙しかったと思います。おかげで、デビュー当時、一度も自分のことを忙しいとは思わなかったですね。
その中でも特に女の子に絶対にお勧めなのがバレエです。
バレエには、忍耐、歩き方、生きるすべてがつまっています。しんどくても弱音を吐かずに最後まで踊り切ることを通じて、諦めることを知らない子どもに成長できますから。姿勢も良くなりますしね。舞台映えする立ち居振る舞いが自然に身に付く、というのでしょうか。
全校で「荒馬」や「ソーラン節」を踊ったりしますよね? そのときは大体、「平原さん、前へ」なんて言われてお手本の動きを見せる役が回ってきました。先生が「皆さん、平原さんをご覧ください」って(笑)。