娘が傷を見て表情を変えなかったので、自分でも見る勇気に
1968年生まれ。80年代、テレビ番組から生まれた「おニャン子クラブ」の一員になり、大人気に。「うしろ髪ひかれ隊」としてCDデビューも。おニャン子卒業後は、女優やレポーターとして活躍。出演番組に「キッズ・ウォー」「ちい散歩」など。子育て中の働くママでもある。乳がんを公表せず、5回の手術を受けた。その体験をつづった「右胸にありがとう そして さようなら」(光文社)を出版
―― しっかり者の娘さんが、本音を見せました。
生稲さん 手術の前、右胸ともお別れなので、娘と近所の銭湯へ。「右胸がなくなったら、こんなふうに銭湯に来るなんてもうないのかな」。それでも娘のために頑張ろうと思いました。全摘の手術後はさすがに痛くて、体がきつかったです。乳頭、乳輪と乳房の膨らみがなくなってしまいましたが、娘が先に傷を見て表情を変えなかったので、自分で見る勇気になりました。娘のおかげで、思ったよりも衝撃を受けずに済みました。
初めの入院のときは3泊で、娘は毎日、お見舞いに来てくれました。その後、2回の手術は日帰りでしたが、全摘手術の入院は10日。娘なりにストレスを感じてしまったようです。病室に来ても、テレビを見るしかない状況。冬休みなのに遊びに行けないのは、子どもにはかわいそうでした。1月2日、泣いてパパを困らせていると連絡があり、「病院に来なくていいから、どこか連れていってあげて」と言いました。私は1日、病室にいて「今日は来てくれないんだ」と独りぼっちで寂しかったけれど、娘に対して「そうだよね。ごめんね」という気持ちでした。
―― 公表しなかったので、闘病の仲間がいなくてつらかったそうですね。
生稲さん 病院に行くと、40代の患者さんが多くて。がんにかかる方が多い世代ですよね。同世代だと私のことを知っている人も多いだろうと、マスクやメガネをしていました。振り返れば、気が付いても、声をかけないでいてくれたのかもしれません。全摘の手術を受ける前日、他の患者さんと一緒に説明を受ける場面がありました。あのときは一番、苦しかったです。本当は「怖いね」と話して、不安を共有したかったけれど、マスクとメガネ姿で「話しかけないでオーラ」を出していました。相部屋の患者さん同士、話しているのを見ると、「ああ、私も話したい」と思いながら黙っていました。その場を去るときに「お先に失礼します」と言っただけでしたが、皆さんが返してくれた「いってらっしゃい」がうれしかったです。