強靭な心臓の持ち主のように思われるかもしれませんが…、違うんですよ。今に集中して、やれることがあるなら全部やる。余計なことを考えません

 流通ジャーナリストの故・金子哲雄さんが死の1カ月前に書いた、『僕の死に方 エンディングダイアリー 500日』(小学館)という本があります。病気を宣告されて死期を知るも公表せずに普段通り仕事をした金子さんは、自身の葬儀をセルフプロデュースし、お墓を決めるなど、死の準備を整えていきます。

 自らの死をも流通評論家として情報発信する最期は素晴らしいし、強い人だったのだろう。数年前に読んだときは思っていました。でも今は、強い人とだけで済ませるのは、違うのではないかと考えるんです。

 1カ月後に迫った死を、漫然とベッドの上で過ごしたらあれこれ考えて、きっと途方もなく怖い。お墓や棺おけを選び、葬儀の内容や会葬礼状まで考える作業をしていたら、あれこれ考えなくて済んだのではないか。金子さんは考えない状況にあえて身を置いたのではないのか。そんなふうに想像するんです。

「動き続ける」「繰り返す」で不安を入り込ませない

 金子さんが死の恐怖とそうやって対峙したのだとしたら、僕の日常は少し似ています。何もやることがない時間を、基本的につくりません。

 独身のときの話ですが、芸人の先輩に驚かれたことがあります。

 先輩と3人で食事に行くことになりました。1人の先輩は遅れてくるから、もう1人の先輩の家で合流するべく、家で待っておこうと呼ばれました。遅れる先輩は何時に来るのかと聞いたら、「30分後か1時間後かそのぐらい。詳しくは分からん。テレビでも見て待っておこう」とのことでした。

 僕は内心で(もう少し時間のめどが立ってから呼んでほしかったな)と思いつつ、見たい番組もなかったので、「じゃ、ちょっと作業しますね」とパソコンを開いてカタカタ…と手を動かしました。

 そんな僕を見た先輩は、「1時間足らずの時間も、生産的に使ってないと気が済まんのか…」と目を丸くしていました。先輩と僕とは、時間感覚が大きく違ったという単純な話ではありますが、指摘されて初めて、確かに自分は何となく過ごすことはしないと気づきました。

 1つ1つの仕事に対しても、このスタンス。やれることは全部やる。「まだやれることはないか?」と常に自問して、不安や雑念の入る隙間を作りません。集中力を高め、心を落ち着かせることにもつながっています。