借金20億を背負った崖っぷちで出合った、司会という仕事
阿久津五代子さん(左)とOFUKUに扮した長谷川高士さん(右)
阿久津さんと長谷川さんが出会ったのはあるブライダルプロダクションでの研修。
長谷川さんの司会のインストラクター役を務めたのが阿久津さんでした。長谷川さんの研修中の飲み込みの早さ、短期間で課題をクリアして何が何でも自分のモノにしようという意気込みに圧倒され、同時に「この人はなんて面白いんだろう」と、阿久津さんは長谷川さんの中に光る底知れぬ才能に驚きました。長谷川さんは当時をこう振り返ります。
「実はちょうどあのころ、実家の事業(老舗の家具店)の負債が膨らみ、連帯保証人として借金を抱えてしまった時期でした。バブル崩壊直後、債務額は20億円になっていました。20代だった自分はその現実をなかなか受け入れられませんした。でも、とにかく働かないことには前に進めない。とにかく稼ぎたいという理由から始めた司会業でした。やってみると学生のころから結婚式の司会を頼まれることも多かったこともあり、自分の得意なこととバチッとはまった。とにかく必死でした。追い詰められていましたから、もうやるしかなかったんです」
長谷川さんの実家は三代続く老舗家具店。祖父の代から続く家業を陰で支えていたのが長谷川さんのお母さん。経済的にも恵まれ、何不自由ない環境の中で、惜しみない愛情を注がれて育ちました。長谷川さんはお母さんが大好きでした。ところが、その最愛の母は長谷川さんが6歳のときに突然他界。幼い長谷川さんは美しかった母を忘れまいと遺されたアルバムを繰り返し眺めていたといいます。
「代々、商売を生業とする家に嫁ぎ、事業を任されていた母の面影は私の結婚観に少なからず影響を及ぼしたかもしれません。結婚は惚れた腫れたの末のゴールインというよりも、家と家の結びつきであり、同時に伴侶には事業を一緒に大きくしていくビジネスパートナーという側面を強く求めるようになっていました」
一方、阿久津さんは最初の結婚に失敗したばかりでした。仕事は順調でしたが、形に残るビジネスをしたいと思っていた矢先、長谷川さんから「独立するために力を貸してほしい」と相談を持ちかけられたのです。もちろん実家の状況もある程度は聞かされていました。
大きな借金を背負ってからのスタートであるがゆえ、決して楽な道のりではないことは分かっていました。当然、「何も好んで苦労を背負うことはない」と両親からは猛反対されます。それでも長谷川さんの中に光る何かを信じていた阿久津さんは「この人に賭けてみよう」と覚悟を決め、同じ事業をするなら家族として一緒のほうがいい、と結婚を決断しました。
間もなく一男一女にも恵まれました。借金の抵当には入っていたものの、大所帯が暮らしていける大きな家はあったので、長谷川さんの実父、(長谷川さんにとっては)継母、祖母、そして二人の子ども、そして長谷川さん夫婦の7人家族の同居生活が始まりました。実父、継母、祖母の協力を得て、一家が協力して動きました。仕事と子育て、家事のバランスをめぐって義父と阿久津さんとの間で喧嘩が絶えなかったといいます。