自分を認めるために、支えてくれているのは誰かを考える
患者の希望をすべてかなえられないとき、逃げ出したくなることもあったと語った小澤先生。医療現場の現実を聞き、子どもたちが神妙な顔つきになります。すると、小澤先生が空気を変えるように「今、自分に点数をあげるなら何点?」と質問をしました。「100点? 60点?」と聞いてもなかなか手が挙がりません。「たとえ低い点数でも、自分が大事な存在であることを認めてほしい」と続ける小澤先生。
試験がうまくいく、試合に勝つ、誰かの役に立っている――これならば大事な存在であることは認めやすいのでは、と言います。
「では、役に立たない人間は? インクが切れたボールペンのように、役に立たない人間を捨てられますか?」
小澤先生はテーブルに置いた自らの時計を手に取り、「この時計が動かなくなっても私は捨てないでしょう」と言います。なぜなら、父親の形見だから。この時計を例に、役に立つ、立たないは何かと比較をして考えることではないと続けます。
「病気を通して、健康なときには見えてこないものが見えてきます。家族や友人がそばにいるだけで穏やかになる。庭に咲いている花や、何気ない音楽に涙したりします。何もできない自分でも、尊い存在だと認めることができたからです」
テストで40点や60点しか取れない自分をどう認めるか。「『Let It Go』の歌詞のように、ありのままの自分でよいと思うことができたら、自分を認められる」と小澤先生。
「でも、『俺、勉強できなくてもいいや』と開き直るのは違うと思うんです。自分を支えてくれる誰かが『あなたはこれでいい』と言ってくれることで、自分自身を認められるようになるのではないでしょうか。支えてくれているのは誰なのかという答えは、宿題として考えてみてください」
横浜市立桂小学校での「いのちの授業」の様子