讃岐うどんの思い出に決着をつけるのだ
家族全員、うどんが好きだ。冷凍庫には冷凍うどんを常備している。こだわりの乾麺もある。お昼ごはんとして軽くいただいたり、鍋の〆にと、週3日くらいうどんを食べている。でも、うどんを打ったことはなかった。自分で打ったら、うまいだろうなと思いながらも手軽さに流されていた。料理愛好家としては反省だなぁ。
うどんといえば讃岐うどんだが、悲しい思い出がある。
8年ほど前にバイクで四国を走った。フェリーで徳島から入り、キャンプをしながらぐるりと四国四県を回った。最終日、掉尾を飾るのは丸亀市や坂出市の有名うどん店巡りと決めていた。ところが、情報収集ミスで軒並み、売り切れじまいか定休日だったのだ。行く先々で看板がしまわれる瞬間に出合うというあり得ないほどの、うどん運のなさ。そのたびに増大する空腹感も相まって、まさに悲劇そのものだった。
泣く泣く瀬戸大橋のパーキングエリアで打ちひしがれながら、フードコートの片隅で名ばかりの讃岐うどんをすすりこんだ。むろん思い描いていた感動はなく、普通のうどんだったことで悲劇感はいや増した。(※現在はセルフ形式の讃岐うどん店「架け橋 夢うどん」があるそうだ)
「父ちゃんはそんな悲しい思い出に打ち勝つためにも、うどんを打たねばならないのだ」と、息子たちに宣言して、うどん打ちに取り掛かった。
漫画「うどん打ちは力じゃないよ、愛だよ、愛」(筆/長男の漫画家・小栗千隼)