「自分で情報を集め、考える力」は、社会人になっても大いに役立った
―― 大学卒業後は、創業したばかりのファイナンシャルプランニングの会社に就職されました。
中村 新卒での最初の就職先は、大手の電機メーカーだったんです。でも翌年に、日本で最初のファイナンシャルプランニングの会社の求人を見てすぐ応募し、転職しました。社員5人の会社でほとんどゼロからのスタートで、すごく楽しかったですね。勝手に転職して父は怒っていましたが(笑)。
―― この期間にFPの資格も取られたんですか?
中村 当時、FPの資格はまだ日本ではなかったんです。ライフプラン表など、だから自分たちでゼロから考えて作りました。今もFP協会のホームページからダウンロードできますよ。当時は指針がなかったから、全部自分たちで情報を集め、消化をして、対策を考えて発信するということをしていました。「シングルの人は生きるための保険が必要だから医療保険だけでいい」とか「投資をするならインデックスファンドを積み立てで」とか、今では常識となっていることも、言いだしっぺは私です。5年ほどして会社を辞める前に、お金の本を出版できたことはすごく良かったですね。
29歳で会社を辞めて留学へ。人生を変える出会いがあった
―― 手に職をつけたいという小さいころからの夢が、実際に叶いました。キャリアが順調な中で、なぜ退職の道を選んだのでしょうか?
中村 がむしゃらに働くことに疲れていたというのもあったし、これが本当に自分の進みたい道かなという疑問もありました。それにずっと留学をしてみたいと思っていたけれど、学生時代にはできなかったから、やってみようと思ったんです。30歳を前にして、今でいう「自分探し」みたいなものね。
―― オーストラリアに行かれたんですよね? どんな生活でしたか?
中村 留学に憧れていたとはいえ何を勉強したいのか分からなかったので、英語をブラッシュアップしつつ、外の世界を見てみようと思いました。色々なつてや知り合いをたどっていくうちに、ちょうどタイミングよく、オーストラリアに知り合いが何人かできたんです。彼女らを頼ってパース、アデレード、ブリスベンの三カ所に、合計半年くらい滞在していました。一人旅も経験し、この時の出会いで人生観が大きく変わりました。
オーストラリアのホームステイ先で家族と。写真右端メキシコ人女性との出会いにより、中村さんの人生観は大きく変わった
―― そのとき、ご両親は…。お父様はやはり反対したのでしょうか?
中村 会社を辞めたのも報告していなかったら、父が何かの用事で前の会社に電話をしてきて、「中村さんは、もう辞めました」と言われてバレたの(笑)。怒って電話をかけてきたからその時に、「オーストラリアに行きます」って言った気がします。もうあまり覚えてないんですけどね。だってもう大人だしね。私の人生だから色々言われてもしょうがないですよね。
あまり強く意識したことはありませんが、両親が共働きで、小さいころから自主性に任せられる部分が多かったから、自分で考え、自分で行動し、失敗しても責任は自分で取るという習慣が当たり前に身に付いていたように思います。
亭主関白の共働き家庭で育ち、「一生結婚はしない」と自立の道を目指した中村さん。FPとして順調な滑り出しを見せていた彼女は、30歳手前で新たな世界を求めて遊学をします。広い世界を見て大きく変わった価値観と出会い。第二回では、結婚・出産、養子縁組と新たなステージに入った、共働き子育て生活について話を聞いていきます。
(取材・文/玉居子泰子 写真/品田裕美 構成/日経DUAL 加藤京子)