ひきこもりの定義について考える
工藤啓さん
15~39歳の若者を対象に「働く」と「働き続ける」を支援する、認定特定非営利活動法人・育て上げネットの理事長。プライベートでは双子を含む4人の男児の子育てに力を注ぐパパ
僕たちが支援するひきこもりの無業の若者たちが、現在日本にどのくらいいるか、知っていますか? 内閣府が2016年に公表した調査によると、学校や仕事に行かず、半年以上自宅に閉じこもっている15~39歳のひきこもりの人は、全国で推計54万1千人。初めて調査した2010年からは約15万人減っていますが、その数は今なお50万人を超えています。
厚生労働省が定めるひきこもりの定義は、「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上続けて自宅に引きこもっている状態」で、「単一の疾患や障害の概念ではなく、様々な要因が背景になって生じる」としています。
この定義を基にすると、家族以外の人と交流があれば、ひきこもりではないということができます。
ところが親は、子どもが友達や親戚の人と接触しているにもかかわらず、「うちの子は外出しないでひきこもっている」など、自分の判断で引きこもりだと決めつけて、わが子にレッテルを貼って見てしまうことがあります。
そういった親の思い込みが解決を遠ざけてしまうケースもよくあるので、原因がどうであれ、親も周りの人もわが子にレッテル貼り=ラベリングをしないよう注意したいものです。
親ができること1 こもるって悪いこと? 親の価値観だけで判断しない
もともと日本には、修行する人が神社やお堂にこもる「お籠もり堂」がありました。僕はこもるという行為自体が悪いわけではないと思っています。例えば「書斎にこもる」といえば集中しているイメージがあり、ポジティブに受け止めることができます。
ゲームをすることの善し悪しはさておき、外出をせず、家にいてゲームばっかりしているという子どもがいるとします。親からすると引きこもっているように見えても、この場合、部屋にこもってゲームに集中しているだけという可能性も考えられます。
ゲームを読書に置き換えてみると分かりやすいのですが、読書がすごく好きで、部屋でずっと本を読んでいる子も、はたから見ると「外に出ない子」です。でも、読書にハマっているだけであって、本人は社会から外れて困っているとはあまり見なされません。
読書にハマって外出しないのも、ゲームにハマって外出しないのも同じですが、親の印象はどうでしょう? 読書なら「うちの子は熱心に読書をしている」、ゲームだと「外出しないで引きこもっている」、このようなイメージがありませんか?
本当にゲームが好きなら、好きなことにどんどん集中して、その道を極め、ゲームを作る側にまわる将来だってあります。そう考えたら部屋にこもってゲームをしているからといって、親が思うほどゆゆしきことではないのかもしれない。
読書でなければ音楽でもパソコンでもいいのですが、外出をせずにハマっているものが読書なら許せて、ゲームだと不安になるというのは親の価値観の問題です。つまり、親が自分の価値観でものをいっているだけといえるわけですね。
ゲームをするのは時間を早送りにするため? それとも暇だから?
僕たちが心配になるのはこもっている状態よりも、何かから引いてしまっている状態です。
社会から引いている場合は、ゲームをすることで、時間を早巻きにしているのでしょう。一日中、家にいるのは暇過ぎます。でも、本人は自分の生活を振り返るとつらくなるので、朝起きる、ご飯を食べる、ワイドショーを見る、昼ごはん飯を食べる、昼寝をするというように、一日をスケジューリングしていきます。そうすると時間があっという間に過ぎていく。
ゲームをしていると、同じように時間がすぐ過ぎるので、暇な時間を早送りにするにはもってこいです。そうでなければ、あるいは、社会から引いた状態を何かで埋め合わそうとして、ゲームをしているともいえます。
このように外には行きたくないけれど、家にいるのがつら過ぎるからゲームに集中することと、ゲームをやりたいから部屋にこもって外に出ないということでは全く意味が違います。