「ダイバーシティ」や「女性活躍」が進んできたのは大都市圏の大企業だけ、地方企業や中小企業では女性がやりたい仕事をすることも多様性への理解も、強固に阻む壁が存在するという声があります。その一方で、地方だからこそ追求できる働き方がある、と話す人も。地方で働く女性の今について、嘆きと希望の両面から探りました。

地方で働く私たち ~嘆きと希望~

 地方には女性が活躍できる環境がない、という悩みは全国いたるところで聞かれます。しかし、嘆くだけでなく自分たちで輝ける未来を切り開くために、力強く歩み始めている女性たちもいます。「徳島の女性を元気にする会」の理事長、笠井誉子さんに、躍動する徳島県の女性たちについて詳しく聞きました。

地元で子育てしながら独立起業、自由な時間で社会活動

編集部(以下、略) 笠井さんは徳島出身ですか?

笠井誉子さん(以下、笠井) はい。一度は東京で就職したんですが、徳島に戻って結婚、出産して専業主婦をしていました。長男が小学校に上がったのをきっかけに徳島で仕事に復帰しました。

 私の実母は既に他界していて、義母は専業主婦で子どもをよそに預けて働きに出るのをよく思わなかったんです。時間的に融通の利く仕事でないと難しいので、損害保険会社の営業の仕事に就きました。みなし労働時間制なので、営業成績が上がっていれば日中に子どもの送り迎えをしても問題ないし、子どもが熱を出したら家にいられます。その分、数字のノルマを背負うのですが、私には合っていたみたいです。

 その会社が2000年代初頭のリーマン・ショックで倒産してしまい、業界最大手の企業に再就職しました。3年間の研修が修了したら代理店として独立するコースでした。当時、損害保険業界は男性社会で、80人の同期のうち女性は2人。性別に関係なく数値目標を達成しなければ途中で脱落、最後まで残れたのは全体の3割でした。私は2年間で目標を達成したのですが、独立ではなく会社直営の代理店にコアメンバーとして入ることになったんです。

 社員としての待遇は社会保険などの福利厚生面では独立するより安定していました。一方で、研修生時代はインセンティブで月収100万円を超える月もありましたが、社員になると収入が一定になるので営業職としてのやりがいは感じられなくなりました。

 13年3月まで勤め、ちょうど地方の女性・若者の創業支援の補助金制度ができたタイミングで損害保険の代理店として独立起業。同時に、自由な活動ができる環境になったので、NPOを立ち上げ社会活動も始めました。

徳島の女性を元気にする会理事長 笠井誉子さん
徳島の女性を元気にする会理事長 笠井誉子さん

―― 独立前からNPOには関わっていたのですか?

笠井 12年の夏に太田彩子さんが主宰する「営業部女子課の会」という営業職の女性だけのコミュニティと出合いました。徳島にも大勢いた女性営業職を集めて徳島支局を立ち上げて、月に1回勉強会を始めたんです。

 当時は政権与党の民主党が女性活躍の取り組みを始めていた頃です。13年12月から準備を始めて14年4月にNPO法人「徳島の働く女性を元気にする会」(現・徳島の女性を元気にする会)を設立しました。