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大企業でSEとして働いてきた高林亮一さん。最先端でシステム開発に挑んできたが、苛烈な働き方に限界を感じ、早期退社を決意。52歳でビール醸造所「TKBrewing」(川崎市)をオープンした。50代で全く違う職種に挑戦した高林さんと、一緒にブルワリーを支えることになった妻・江利子さんに、夫婦それぞれの思いを聞いた。
カナダで出合ったクラフトビールの魅力
編集部(以下、略) 高林さんがビール造りに出合ったのは30代前半でカナダ・トロントに赴任したときでしたね。
高林亮一さん(以下、亮一) それまでは全く興味なかったんですが、現地はホームブルー(ビールの自家醸造)が盛んで、近くに材料を売っているお店もあった。仕事も定時で帰れるようになったのでカナダの自宅で造ったのが最初です。
高林江利子さん(以下、江利子) 私が里帰り出産して日本からカナダに戻ったら、キッチンに大きな鍋やスポイト、シリンダーが置かれていて。お酒は飲まないほうですが、造ったビールを飲んでみたら、すごくおいしかった。まだ日本ではクラフトビールという言葉もほとんど聞かない時期で、自分で造るとこんなに違うんだと印象的でしたね。
亮一 あの頃はまだ、そんなにいい出来じゃなかったと思うけど……。とにかくビール造りは奥深いんですよ。仕込んで2~3週間で飲めるようになるので結果が分かりやすい。それでどんどんハマって、機材が増えていきました。でも、日本に帰るとそんな時間も全くない。
―― 日本ではどんな生活でしたか?
亮一 40歳手前までSEとして現場の最前線で仕事をしていました。SEの仕事にやりがいはあったんですが、システムの切り替えのため正月3が日にほとんど寝ないで仕事をするような働き方で。さすがに「このままでは死ぬな」と、40歳直前でなかば強引に後方支援の部署に変えてもらいました。それが転機でしたね。