いつかはやりたいと思い続けてきたこと、働きながら見つけた新しい夢…動き出せるチャンスがいつ巡ってくるかは人それぞれ、何かに挑戦するのに遅すぎることはありません。自身の中から湧き出る思いを原動力に、人生後半で新しい世界への一歩を踏み出した人たちを紹介します。

何歳からでもチャレンジ!

 「とにかく毎日がエキサイティングです」。そう言ってチャーミングにほほえむのは、英会話教室のイーオンで講師をしている日高由記さん、72歳。日高さんのキャリアが始まったのは50歳を過ぎてから。専業主婦として長く家族優先の生活を送っていましたが、46歳のときに思い立って英語の勉強を始めたことがきっかけでした。その後、英検1級と通訳案内士(現・全国通訳案内士)の資格を取得した日高さんは、どのように仕事人生を開花させていったのでしょうか。

日高由記
日高由記
ひだか・ゆき/1950年生まれ。20年以上の専業主婦時代を経て、46歳のときに本格的な英語の学習を開始。51歳で英検1級、53歳で通訳案内士の資格を取得する。その後、通訳ガイドや英会話教室イーオンの講師として仕事を始め、現在も精力的に活動中

子どもが自立し介護も一段落、思い出したかつての夢

編集部(以下、略) 日高さんは70代の現在も、イーオンで英会話講師をしているそうですね。

日高由記さん(以下、日高) はい。東京都内の吉祥寺、高田馬場、五反田の校舎でレッスンを担当しています。時期にもよりますが、平均して週5日くらいの勤務ですね。並行して、観光シーズンには東京都の通訳ガイドとしても活動。ここ数年は新型コロナウイルス禍でちょっと中断していますが、イーオンのレッスンを午後に組んでもらい、午前中にガイドの仕事を入れるようにしています。

―― まさにフル回転という感じの充実したお仕事ぶりです。日高さんは40代後半になるまで長く専業主婦をしていたそうですが、新たな挑戦に踏み出した経緯を聞かせてください。

日高 私はもともとキャリア志向で、大学では英語を専攻し、英語を使った仕事に就けたらいいなと思っていました。それが、大学3年生で学生結婚することになったんです。夫は新聞記者で、結婚しても勉強を続けたらいいよと言ってくれていたのですが、現実はとんでもなかった(笑)。子どもができて、夫が名古屋に転勤になってと、とても勉強どころではなく、泣く泣く卒業も諦めました。

 そうこうしているうちに2人目も生まれ、子育てで大忙しの毎日に。途中から同居するようになった義母の具合が悪くなってからは、子育てに介護も加わりました。

―― 「いつか落ち着いたら、自分のやりたいことに挑戦したい」という思いは心のどこかにあったのでしょうか。

日高 あったとは思うんですよ。ただ、家族の事情が最優先で生活が決まっていく中で、自分がどうしたいかを考える暇がなかった。目の前の問題に対処している間に時間がたってしまいました。

 やがて、子どもたちも社会に出る頃になり、病気がちな義母の状態も安定して、時間と気持ちに少し余裕ができました。それでふと、「そうだ、私はもともとやりたいことがあったんだ。こうしてはいられない、何かやらなきゃ」と思ったんです。やるならやっぱり英語、ただ、20年以上のブランクがありますから全然自信はありません。それでもまずは一歩を踏み出してみようと思って、46歳のときに英会話学校の門をくぐりました。

―― その時点で、英語を使って働くことも念頭にあったのでしょうか。

日高 いえいえ。仕事のことは何も考えていなかったです。とりあえず興味のあることをやってみようという意識でした。