団塊ジュニアたちもアラフィフに入り、就業率の高い「更年期世代」(45~54歳)の働く女性は748万人(労働力調査・2021年)で、働く女性の約4分の1を占めています。慢性的な労働力不足の今、更年期女性が働きやすい環境をつくることは、働く女性の側だけの問題ではなく、働いてもらう企業側にとっても重要な課題です。「更年期×働く」の現在を両面から追います。

働く私の更年期

 ランナーを引退し、キャリアの転換期を迎えていた40代後半、イライラやホットフラッシュなどの症状に見舞われたという有森裕子さん。原因が更年期だと気づくまで不安な症状に一人で落ち込み、自分を責める日々が続きました。さまざまな役職をこなしながら、有森さんが更年期障害をどう乗り越えたかを聞きました。

気分の浮き沈みが激しく、不安になっていた

編集部(以下、略) 有森さんの場合、更年期障害はいつ、どんな症状が現れたのでしょうか。

有森裕子さん(以下、有森) 閉経が近づいてきた47歳の頃、主に2つの症状がありました。1つは精神面での症状です。些細(ささい)なことでイライラしたり、整理整頓が手際よくできなくなったり、人の話が頭に入りづらくなったりして、気分の浮き沈みが極端に不安定になってきました。

 もう1つは身体面です。何もしないのに体がほてって、異常な大汗が1日3~4回流れてきました。当時は、講演会やマラソン大会での応援など人前で話す仕事がメインでしたが、訪れた先々で脇汗をかいてしまい、気分が落ち込んでいても笑顔で話さなければいけませんでした。いわゆるホットフラッシュだったんです。

 今でこそ更年期に関する情報はインターネットや書籍でたくさん出回り、発信する人も増えていますが、当時はあまり目にすることがありませんでした。私の中で、これらの症状が更年期障害だという概念がなく、原因が分からないのでただただ不安でしかなかった。イライラは止まらないし、講演する先々で、運動もしていないのに体がほてり異常な大汗をかいて、「あれ、困ったな……」という感覚だったのです。原因不明な状況に一人で落ち込み、気分がスッキリしない日々が続きました。

有森裕子 元プロマラソンランナー

ありもり・ゆうこ/1966年、岡山県生まれ。92年バルセロナ五輪の女子マラソンで銀メダルを、96年のアトランタ五輪でも銅メダルを獲得。日本の「プロランナー」第1号。市民マラソン「東京マラソン2007」で現役を引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞する。日本陸上競技連盟副会長や大学スポーツ協会(UNIVAS)副会長などを務める。

―― つらい症状を誰にも相談しなかったのでしょうか。

有森 相談しても解決しないのではないかと思いました。自分でもよく分からないことが一番の悩みだったので、説明しようと思ってもうまくできなかったのだと思います。どちらかといえば、感情の起伏が激しい性格なので、年齢を経て自分の性格が意固地になってきたのかなと、原因の矛先を自分に向けるしかなかったですね。外に出せないイライラする気持ちは日記につづって、発散していました。

 どれだけ気分が落ち込んでも、講演会やマラソン大会での仕事は日程をずらせないので、大変な思いもしました。

―― 現役時代、生理痛や月経前症候群(PMS)といった女性ホルモンの変化で悩まされたことはなかったのでしょうか。

有森 練習で大量に流れる汗と生理による鉄欠乏性貧血があって、食事と鉄剤注射で改善しましたが、女性ホルモンの変化による不調で悩んだことはありませんでした。マラソンランナーは激しい練習とエネルギー不足などで、月経不順や無月経(3カ月以上生理がない状態)になる選手が少なくないのですが、私はそうした月経異常もなく、練習や試合に支障を来すこともありませんでした。女性ホルモンに振り回されることがなかったから余計、不調の原因が何なのか分からなかったのかもしれません。

―― 何をきっかけに、これが更年期症状だと分かったのでしょうか。