結婚・出産後も仕事を続けることを、勤務先にも家庭にも期待されなかった。夫の転勤のためにやむなく退職――。今40~50代の女性たちの中には、過去にさまざまな事情から仕事を離れ、専業主婦になった人も多くいます。再び自分のキャリアを前に進めたいと考えた彼女たちは、離職期間=ブランクと見なす「再就職の壁」や自身の不安をどう乗り越えたのか。実際に仕事復帰を果たした「元専業主婦」が体験を語ります。

元専業主婦からのキャリア

 薄井シンシアさんは17年間の専業主婦生活の後、47歳でタイ・バンコクにある学校の“給食のおばちゃん”として仕事復帰します。日本に生活拠点を移した52歳のとき、駐在員向け会員制クラブの電話受付のパートとしてキャリアを再開。50代で外資系ホテルの営業開発担当副支配人、大手飲料メーカーで東京2020オリンピック大会(東京五輪)のホスピタリティ担当などを務め、62歳で外資系ホテルのカントリーマネージャー(日本法人社長)に就任。同ホテルを22年7月に退社後、同年11月に63歳で大手IT企業に転職し、新たな道を切り開いています。働き直しの先駆者である薄井さんが、キャリアの先に見据えていることとは?

労働力不足の追い風を感じた、未経験業界への63歳転職

 外資系ホテルを辞めた後、22年8月から転職活動を始めたという薄井さん。63歳での転職は、日本でキャリアを再開した52歳のときよりもスムーズだったと言います。スキル重視のジョブ型雇用を導入している外資系企業に応募先を絞り、求人情報はビジネス特化型SNS(交流サイト)のLinkedIn(リンクトイン)から見つけました。

 「今回応募した約8社すべてから返信があり、面接などを経て複数の会社から採用通知をもらえました。この11年間で築いてきた経験が評価されたのもありますが、日本の深刻な労働力不足が追い風になったと思います。特に、英語と日本語を使いこなせるバイリンガル人材であることは、60代という年齢の壁や業界経験の少なさを超える強みになった。日本初進出となる外資系ホテルの開業を軌道に乗せたマネジメント経験や東京五輪関連の大きなイベントをディレクションした経験はアピールポイントになりましたね」

薄井シンシア
薄井シンシア
1959年フィリピンの華僑の家に生まれる。20歳で来日し大学卒業後、貿易会社などに勤務。30歳で出産し専業主婦となる。日本では電話受付のパートとして52歳で仕事復帰後、外資系ホテル、大手飲料メーカーなどを経て、2021年5月外資系ホテルの日本法人社長に就任。都内3カ所の開業を軌道に乗せた後、22年7月に退社。同年11月63歳で大手IT企業に就職。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)

 今回の転職の目的は、「子育て世代をサポートすること」と薄井さん。モダンエルダー(編集部注:地位や肩書ではなく、知恵と経験によって尊敬される『新しい年長者』のこと)として働ける職場を求めて、ジョブディスクリプション(職務記述書)から自分に適性のありそうな業務を探したと言います。

 「自分が70歳まで働くと想定したときに、人を管理するリーダーの役割ではなく、チームメンバーの一員として現場で働く人たちをより直接的に応援したかったんです。例えば、時間外の業務を進んで引き受けたり、子どもの病気時のケアや学校行事などを理由に休みたい人の代役を申し出たりする。そうすると、子育て世代は助かりますよね。チームの中で小さな子を持つメンバーと(子育て期を終えるなどして)時間を自由に使える高齢者が組んで仕事をするという動きが、今後企業の戦略として社会に広がっていけばいい。職場には年齢の多様性が欠かせないことを、組織の中から毎日証明していけたらと考えています」