安定感、知名度、収入面――。大企業に勤めることには特有の魅力やメリットがありますが、大組織ならではの動きの鈍さや閉塞感に悩まされがちなのもまた事実。「この仕事、やってて本当に面白いの?」と聞かれたら「もちろん」と即答できますか? 本当にやりたいことを求めてミドル世代で大企業を辞めた人に、なぜ辞めたのか、後悔はないか、辞める前にすべきことはあるかなど、本音を語ってもらいました。

私たち、大企業を辞めました ~準備したこと、すべきだったこと~

 ジャーナリストの浜田敬子さんは、50歳のときに約28年勤めた朝日新聞社を辞め、ベンチャー企業に転職。米国発のオンラインメディアの日本版創刊編集長を務めた後、フリーランスになり、2022年8月には再び大手企業に籍を置き専門誌の編集長に就任しました。現在は正社員として働きながら、フリーのジャーナリストとしての活動も行う浜田さん。60歳以降の人生を見据えて、大手メディアと新興メディアの両方で経験を積んだ浜田さんに、職場環境の変化や乗り越えた壁、年齢を重ねてもキャリアのチャンスを広げる行動について聞きました。

浜田敬子 ジャーナリスト
浜田敬子 ジャーナリスト
はまだ・けいこ/1966年生まれ。89年に朝日新聞社に入社。支局勤務、週刊朝日編集部を経て、99年からAERA編集部。2004年AERA副編集長、14年AERA初の女性編集長に就任。17年朝日新聞社を退社し、同年世界17カ国(当時)で展開するオンライン経済メディアBusiness Insiderの日本版統括編集長となる。20年に退任しフリージャーナリストに。朝の情報番組のコメンテーターや、ダイバーシティや働き方改革についての講演も行う。近著に『男性中心企業の終焉』(文藝春秋)

50歳でベンチャー企業に転職。60歳以降の選択肢が広がった

編集部(以下、略) 大手新聞社発行の週刊誌で一時代を築いた編集長が、新しいデジタルメディアの“顔”となる転身は、当時の話題になりました。

浜田敬子さん(以下、浜田) 6年前に朝日新聞社を辞めたとき、周りの多くが「なぜ朝日新聞を辞めるのか」「(定年までいられるのに)もったいない」という反応でした。でも、私に迷いはありませんでした。安定した大企業で50歳までに積み上げてきたものを捨ててベンチャー企業に転職するのは、リスクのほうが大きいと思われるかもしれません。それでも、身軽な50歳のうちに動いておいてよかった。キャリアの幅が広がり、理想に近い働き方が今できています。

―― 60歳以降のキャリアを見据えた、人生の選択だったのですね。

浜田 今の仕事に満足しているなら動く必要はないですよ。でも、この先10年、15年のキャリアを考えたときに、自分の居場所が残されているのか? と漠然とした不安を抱える人は多いのではないでしょうか。定年までの道筋が見えてくる50歳前後にモヤモヤとした感情が出てきたとき、ずっとそのままでいると、現状維持の気持ちに自分がなじみ過ぎてしまうんですよね。本来は前向きで希望にあふれた人だったのに、リスクや不安が先走るような思考になってしまうことがある。その気持ちのまま、定年までの10年をやり過ごすのだったら、居場所を移してもいいんじゃないかなと思います。

―― 浜田さんは、朝日新聞社を辞める前に何か準備をしていたのでしょうか?