「もうダメかも…」と思ったけれど
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2育児も仕事も限界を超え難病に 棚卸しで見えたものは
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3仕事の失敗、感じた限界 ピンチが導いた天職への道
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4天野妙 3児育児、介護、起業 嵐の日々を支えたのは←今回はココ
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5CEOが時短 妻の産後うつ機に得た経営観と商機
「今、外は嵐が来ているんだ。だから、貝のようにじっと耐えよう。毎日そんなふうに考えていました」
小室淑恵さんと共同で2020年に出版した『男性の育休 家族・企業・経済はこう変わる』(PHP新書)の著者で、企業のダイバーシティ推進のコンサルティング会社を経営しながら子育て政策についての提言を続けている天野妙さん(48)がそう振り返るのは、41歳の頃。三女の妊娠が判明し、新たな命の誕生に喜んでいたときのことでした。

当時、人材コンサルティング会社の取締役として勤めていた天野さん。2人の子どもは保育園児と小学生で、別の会社で働く夫と共に育てながら、全力で仕事に打ち込んでいました。しかし、妊娠を会社に打ち明け、産休や育休の取得を求めると、会社側は天野さんに退社を求めました。
「役員には産休も育休もない。自分で休みを何とかできないなら辞めてください」。会社の代表者は天野さんにそう伝えたといいます。
「またか……」。実は天野さんが妊娠や育児に関する働き方をめぐって会社を離れることになるのは、これが初めてではありませんでした。新卒で入社した不動産会社では、出産後に復職した女性社員が一度帰宅して子どもを寝かしつけた深夜に会社へと戻って残業する姿を目の当たりにし、「ここでは子育てしながら働く未来は想像できない」と危機感を抱いて転職を決意。
転職先の「子育て中でも働きやすいですよ」と聞いていた建設コンサルティング会社では、長女の育休復帰後に「お任せする総合職の仕事はありません。一般職だったら仕事はありますが、給料はこうなります」と、実質3分の1になる事実を告げられ、産休・育休前の企画職から外され事務職に移ります。一時は「専業主婦になる」という道も頭をよぎったものの、「ここで退社して働くことを諦めたら、再び働き始めてもう一度キャリアを築いていくのは難しい」と考え、約4年間、一般職で働き続けました。でも待っていたのは「時短勤務で肩身の狭い思いをしてまで、本当にやりたい仕事なのか」と自問自答を続ける毎日。そんなときに声を掛けてくれたのが、以前の職場の同僚が経営する人材コンサルティング会社でした。
・介護、育児のダブルケア、天野さんを支えたのは?
・苦悩の日々の末にたどり着いた「何事も〇〇は目指さない」