子どもの不登校、自身やパートナーの病気や不調、仕事での行き詰まり……。長い人生には、「困難」が訪れる局面があります。「どうしよう」と悩み、「もうダメかも……」とうずくまることもあるかもしれません。けれど、立ちはだかる困難は、今までの自分から脱皮して、大きく成長するチャンスでもあります。今回の特集では困難に直面しながらも、視野を広げ発想を転換し、働き方や自身の考え方を変化させながら乗り越えた5人のストーリーを紹介します。

「もうダメかも…」と思ったけれど

 ベンチャー企業を率いる自身は激務の日々。子どもが生まれた喜びもつかの間、妻が産後うつに……。そんな困難に直面したのは、金融インフラサービスを展開するFinatext(フィナテキスト)ホールディングス(HD)のCEOを務める林良太さん。妻の看護のため、1日6時間の時短勤務に切り替えざるを得ない状況に追い込まれた林さんでしたが、その経験が経営観に変化をもたらし、新しいビジネスのアイデアにもつながったといいます。CEOの重責を担いながら、どのようにスケジュール調整をして仕事と妻の看護を両立させたのか、その過程ではどのような葛藤や気づきがあったのかを聞きました。

産後2日目、妻が一睡もできなくなった

 2013年にフィナテキストHDを設立した林さん。第1子が生まれた19年6月は、グループ累計で90億円を調達し、保険事業への新規参入を目指すなど正念場を迎えていた時期。当時を林さんは「常に仕事をし、夜も会食などが連日入っている状態でした」と振り返ります。

妻が産後うつを発症してからの日々を振り返る林さん
妻が産後うつを発症してからの日々を振り返る林さん

 当時、35歳だった妻は福岡で里帰り出産しました。東京で働く林さんも出産に立ち会いましたが、仕事のためほどなく帰京。子どもの誕生を喜んでいた林さんでしたが、出産から2日目、妻からの電話に異変を感じます。

 「一睡もできていない」

 「初めのうちはそんなこともあるのかもしれないと考えていました。でも、妻はそれから、眠りたいのに眠れないという日が1週間以上続きました。さすがにこれはおかしいとネットで調べてみて、僕はそのとき初めて『産後うつなのでは』と思い至ったのです」

 急ぎ福岡に向かった林さんは、出産から2週間後に妻と心療内科を受診。診断は「産後のうつ病」でした。医師からは「うつ病はすぐに治るものではなく、回復には1年以上かかることもある」と告げられたといいます。

 「最初はその診断を受け入れられませんでした。妻はバレエダンサーで留学経験もある活発な人。うつ病とは無縁のタイプだと思っていたんです。でも、当時の妻は目がうつろで表情には生気がなく、子どもと一緒にいると全く眠れないという状態でした」

 新型コロナウイルス禍になる前だった当時は、まだリモートワークが定着していません。林さんは当初、平日は東京で仕事をして、金曜日の夕方に妻と子どものいる福岡に向かい、月曜日の朝一番の飛行機で東京に戻るというペースで妻の看護にあたりました。しかし、当時、妻の母親は療養中で妻のサポートを頼める状況になかったこともあり、出産から1カ月半後、妻と子どもを東京に呼び寄せることを決意したといいます。

 仕事で多忙を極めていた林さん。どのようにして妻の看護・育児と社長業を両立させたのでしょうか。詳しく聞いていきます。

この記事で読めること
・「このままじゃ自殺しかねない」 妻を見守るために変えたこと
・妻のうつをカミングアウト、会社で起きた変化とは?
・妻は離れた実家で療養 大切にしたことは?
・苦しい日々を糧に生まれた新サービス
・社員も家族を最優先に働くために目指す会社のかたち