今、注目のあの人たちに気になるテーマについて語ってもらいます。青木さやかさんと瀧波ゆかりさんには母との関係について。そして、山口真由さんと馬渕磨理子さんにはフェミニズム、そして自身のキャリアの話も振り返ってもらいます。

新春スペシャル対談「これが私たちの生きる道」

「母」と「娘」。一番近くにいる同性だからこそ、分かり合えないこともぶつかることもある。今回は、「母との関係をうまく築けなかった」と話す、タレントの青木さやかさんと、漫画家の瀧波ユカリさんの対談をお届けします。母に複雑な感情を抱いている、そんな人にとってのヒントが詰まっています。

前編 青木さやか×瀧波ユカリ 母親の呪縛、どう抜け出す? ←今ここ
後編 青木×瀧波 苦手だった母と後悔しない関係を築くには?
漫画家の瀧波ユカリさん(左)と、タレントの青木さやかさん(右)。取材日は、示し合わせたかのように和テイストの洋服がすてきなお二人でした
漫画家の瀧波ユカリさん(左)と、タレントの青木さやかさん(右)。取材日は、示し合わせたかのように和テイストの洋服がすてきなお二人でした

自慢の母だった、けれど

編集部(以下、略) 母との関係に悩まれたそうですが、そもそもお二人のお母様は、どんな人でしたか?

青木さやかさん(以下、青木) 母は教師。後に校長先生にまでなるような、周囲からも特別な存在と思われる人でしたね。顔立ちもきれいでしたし、地元では「先生のお子さんなんて、すごいね」と頻繁に言われていたこともあり、小さい頃は自慢の母でした。

瀧波ユカリさん(以下、瀧波) うちの母も美人でしたが、どちらかというと「派手」でした。人付き合いはそんなに得意ではない印象でしたが、昔から美人で評判だったからか、人から見られたり、特別扱いされたりするのが当然だと思っているフシがありましたね(笑)。

「私たちが子どもの頃は、母親になんでもかんでも相談するという時代でもなかったような記憶があります」(瀧波さん)
「私たちが子どもの頃は、母親になんでもかんでも相談するという時代でもなかったような記憶があります」(瀧波さん)

 子どもの頃って、なんとなく自分の中に理想とする「お母さん像」がありませんか。たとえば「凝った料理や、お菓子を手作りしてくれるお母さん」のような。私はそんなお母さん像を求めていましたが、うちの母はまったく。私が幼少期の頃は専業主婦でしたが、やがて父の会社経営に携わり始め、楽しそうに働いていました。性格は激しいタイプでしたが、一方で父には怒ると手が付けられないところがあったため、そのストレスがたまり子どもに当たる……、なんてこともありました。当時は「付き合いにくい親だなあ」なんて子どもながらに思っていましたね。

青木 うちも似ています。子どもの頃は、米国の小説『大草原の小さな家』(アメリカの広大な自然を舞台に両親と三姉妹が生き抜く姿が描かれている)のような世界に憧れていましたから、「いつも家にいてご飯を作ってくれるお母さん」が理想でしたね。でもうちの母も仕事が忙しかったからか、あまり料理はせず。母親というより常に教師という感じで、周りからどう見られるか、常に世間体を気にしながら生活しているように見えました

 両親のけんかが多かったのも、瀧波さんの両親と似ています。一度、母の友人宅に遊びに行ったときに、その家のご夫婦がけんかし始めたことがありました。私は思わず「うちのお母さんたちも昨日けんかをして、味噌汁のお椀が飛んでいたよ」と言ってしまって。その場では和やかだったのですが、帰りの車の中で母と私と弟だけになったとき、「なんであんなこと言うの? 本当のことは言わなくてもいいの」ときつく叱られました。そこで初めて「母の前では、本当のことを言ってはいけないんだ」と悟ったんです。

瀧波 青木さん、思わず「笑いを取りたい」という気持ちが出てしまったのですね。実際にお椀が飛び交っているのを目にしたときは「これはまずいぞ」と内心思っているけれど、でもその状況を人に言って笑いが取れたら、ちょっとうれしい気持ちはありますよね。

「今となっては『母はこんな人だった』と振り返ることができる。でも母に嫌悪感を抱いたときは、モヤモヤする自分の気持ちに整理が付けられませんでしたね」(青木さん)
「今となっては『母はこんな人だった』と振り返ることができる。でも母に嫌悪感を抱いたときは、モヤモヤする自分の気持ちに整理が付けられませんでしたね」(青木さん)

青木 そう、ついサービス精神で本当のことを言ってしまうんですよ(笑)。誰かが笑ってくれただけで、気持ちが楽になるってこともありますしね。

―― お母さんを苦手と感じるようになったきっかけは何だったのでしょうか。